我ら何をなすべきか                                                                                                         

                                多 田 雄 三 山 谷

第一節

人にはそれぞれ持って生れた天分が存る。
それでその天分相応の仕事をすれば可い。
また然うすべきものであり、然うでなければならぬのである。
これを天地の大道と呼ぶ。
ところが人の世の中は雑揉混淆で、正邪曲直善悪美醜の聚散離合する處であるから、大道が必しも行はれるのではない。
大道が行はれなければ細径とても亦不要となるものでもない。
九州の書僧・仙涯和尚はその牛馬の自書を題して、
世の中はウシと思へばうけれどもウマと思へばうまいものなり。
と言はれた。
まことに神魔雑揉の人類世界を整理して安楽國土とすることは我が霊念思考(ココロ)に依るのである。
其の處に娑婆即寂光浄土の教が存る。
假令、貧賎凡愚の身ではあらうとも、その生活には上と下と内と外と前と後と左と右との区別だけは紊さない様に、失くさない様にせねばならぬ。
此の位置を明にして之を守ることが人として人の世界を平和に安楽にする道である。
神命(ミオヤノカミタチ)には此の道を失はぬ様にと念願しつつ拮据経覚、身を以てその訓誡(ミオシヘ)を遺させられた。
それを何うであらう。
何時からともなく、人間世界には上下内外の筋道も前後左右の区別も捨て、秩序も統一も破壊しようとする思想が湧いた。  
その思想の言論行為に誘はれ導かれて相寄り相集り、高卑貴賎の階級も男女老若の差別も撤去して「クラゲナスタダヨヘルモノ」にされた。
之れを古典には滄溟と呼んで居る。
その滄溟は雲霧の如く、また泥沼にも等しい。
それ故、人間身心を安息せしむる處ではない。
それで壊しては見たものの、そのままで居ることが出来ず、直にそれを整理し組織しようとして自ら主動者と成り、中心勢力となって類を集め友を呼ぶ。
いや、然うではない。壊れてからではなく、既に在るものを破壊する為には必ず、先づその中心主動者が有って集団を作る。
世に中心の無いものは無いのであるから、正邪曲直善悪美醜等には拘はることなく、必ず、先づその中心が動いて外廓を集めるのである。
若しもその時、外廓にあるものが主動者に成ったとすれば、それと同時にそのものが位置を転じて中心と成ったのである。
つまり、人間身成立の順序として、必ず中心が外廓を吸収しつつ拡大して来たのであるから総ての組織は必ず、この事理に據らねば成立しないのである。
それで勿論、人間の作るものの一切が此の事理を基準とするのである。
さうして、その集団なり國家なりも其處に組織される。
今、その國家の上で一例を挙げよう。
現在の人類世界には色々の國躰があり政躰がある。
けれども必ず、中心と外廓とから成り立って居る。
その中心は主動者であり、外廓は随従者である。
何如に共和國だ、民主主義だ、社会主義だと云っても、既に集まれるからにはその集まったものは唯一人の指導者を得て始めて完全に統一される。
それ等の主動者と云ふのは、その当時の情勢相応に或は首長であり、君主であり、帝王であり、大統領であり、総統であり、委員長であり、書記長等である。
多数者が選出して任命しようとも、推戴しようとも、多数者を征服して君臨しようとも、相互協調の結果として戴冠しようとも、乃至、何の様な形式に依らうとも究極に於て中心は唯一であり、外廓は多数であり、中心は指揮者であり、命令者であり、外廓は随従者であるよりほかはない。
是れは一つの例外もない事実である。
それ故、純粋社会主義と呼ぶものは空論であり、純粋の民主主義と云ふことも自己欺瞞であり、首尾顛倒である。
それにもかかはらず、世人の多くが中心と外廓との関係を無視して擾乱を繰り拡げ、繰り返して居る。
それはそもそも何故であらうか。
或は無智なるが為に此の見易き事理をすら辮へぬのでもあらうし、目前の利害得失に迷はされて筋道を見失ふ為でもあらうし、権勢暴威を壇にしやうとて自ら自らの真を見失った為でもあらうし、又或は単なる反抗心から事理を無視することもあるであらう。
が、その何れにしても、中心が中心としての位置を忘れ、外廓が外廓としての位置を辮へぬ時に此の間違ひが起る。
けれども、その時、その處での間違ひである。
その時、その處では間違ひであるが、その時・處とを脱却してしまへば、それ自躰としては「自己保存の本能」である。
そうして、それは善悪にも正邪曲直にも拘はらず、すべての生物がその欲を遂げんとするものに外ならぬのである。
従って、其處には社会も國家も乃至、知人朋友兄弟親子までもが相互に各自各自を保護する方便としての機関に過ぎぬものとなる。
それは人間世界ならざる生物界だと云ふまでである。
それ故に人類としての進化向上は無視せられ、唯その利害得大の渦中に没入するのである。
古老はひどく之を畏れて「祕事」とし「禁断の木の実」と呼んで、此の事理を世人に知らせたくないと願はれたのである。
うましともうしとも分かぬ世の中に生まれて死ぬを嬉しとなくらむ。
生死事大、生まれて来たものの必ず死ぬことは事実であるが、その死を欲せずして生を願ふことも亦、生けるものの必ず然るところの事実である。
此の心情を善人が活用しては世を潤し人を救ひ、悪人が用ゐては世を毒し人を害ふ。
善にあらず、悪にあらず、正にあらず、邪にあらず、美にあらず、醜にあらず。之れを祕して「否」と呼び「非否」と稱す。
はるかにも 廣き荒野を 行きめぐり 辿り来にけり。山の隅(クマ) 幾曲りして 行きなづみ 登り来にけり。 立騒ぐ 八十氏人(ヤソウヂビト)も 行きめぐり 團居(マドヰ)せりけり。 氏の神 見守る宿に 百千人(モモチタリ) 團居せりけり 桜挿頭(カザ)して。
神の子が、その神の子であることを知りて神の國を築き上げれば、斯の様に歌ひ斯の様に舞ふのである。

第二節

米麥牛 盡くれば、人が人を喰ふ。
「それ唯聖人か。進退存亡を知りて其の正を失はざるものは。それ唯聖人か。」
利害得失の為に動揺することのないのは容易でない。
口腹の欲に囚はれないことは容易でない。
容易でないことに打ち勝つのは聖人と稱する目標が存るからである。
此の目標を人道と呼ぶ。
人が人としての國を築く上に無くてはならぬ大道である。
若しも人類世界に此の大道が行はれないとなれば、その世界は既に古来の聖賢が指示した人類としての目標を失ひ、人の様な形をした動物が寄り集って居ると云ふまでのものである。
人の道無きものは人の姿はして居ても人としての衣食住を失ふことになる。
それを今、日本國人がはっきりと見得る時に出合ったのである。
恰も、昭和廿一年五月一日、世界労働群の一波として日本全土に彌り百萬と稱する團躰が、「働けるだけ喰はせろ」と叫んで居る。
大道は地に堕ちて群小横議。
百鬼昼行いて天地晦冥。
まことに大道が行はれなければ、荊棘繁茂して天日を隠すに至る。
「人はパンばかりで生きて行かれるものではない。」と古聖は仰せられた。
パンが有ったからとて人の道が無ければ人の世界は成り立たない。
此の道を明にしようとてヱスは十字架上に身を以て教を遺されたのである。
ももくさのみてくら捧げ祈るかな道行く人のうら安き@を。
「鷹は飢ゑても穂を摘まず。鷺は立ちても後を濁さず。」
野山に住む鳥でさへも猶旦、此くの如くである。

第三節

暴風は益々激しく、濁流は愈々高し、内外の情勢は険悪を加ふるばかりである。
都会でも田園でも寸時も安穏には過ごせない。
それで今年は壕中窟裡の祭祀を為て特に大祓の神儀を仰がねばならぬ。
その祭儀も進んだので三月三日には王義之の所云「禊事」を脩めた。
けれども、王義之のそれは富み足れるものの行事であった。 
それとちがって、まことに乏しき鷺宮でのその様は次の如くである。
桃の花が手に入らぬので古書の桃を挂け、梅と月との二幀を左と右に配し、天皇御即位後、御一代一度と定められて御調進遊ばされた伊勢大神宮御料・大神宝用織物裂地の拝領してあったものを用ゐて祭壇を営み、社團法人稜威会の舊標礼を假に掲げ、
清水ひく しづがせとやま ひく水の 清き心ぞ世の人の道。
山もとの 里には清き水を引け 水にみそがば人は光らん。
十年前に斯う認(シタタ)めてあったものを挂け、正月祝ひ用として配給されてあった清酒の
数勺を白酒に代へ、裏庭を掘りかへして採った山の薯、佐渡の海から持ち帰ったとて隣家の青年から贈られた鼬鼠魚(アブラメ)一尾、沼津の戦災者が昨秋土産だと云って持参した栗が三個あったのを一個だけ残して置いたものと、上総の菠薐草(ホウレンソウ)、福島県立子山と申す村から昨年寒中に作った凍餅(シミモチ)だとて贈られてあった中から三切だけ貯へて置いた蓬餅。(此處で一寸断って置きますが、此の様に僅ばかりのものを
殊更大切らしく保存するのは、木花咲耶毘賣の教訓で、「サ」の祕事としての「誓願」に基づくのである。)
これ等を供へまつり、更に別
座には「脩禊講演録二冊」。
これは先師遺教の祕事である。
そうして、それに京都上加茂神社と奈良手向山神社との絵馬を捧げ、去年は石榴の実が乏しくて僅かにかたちばかりであったがその二つを供へ、十年ばかり前から短冊挂けに挿して置いた五十鈴川の歌を小雀の歌と挂け更へ、平家物語の複製を置き、女竹の二年生で真青なのを幣串にしたのである。
五十鈴川 川浪躍り神路山 宮木曳く手に 玉の雄走る。
小雀の 何騒ぐかと立出でて 背戸の木末(コヌレ)を 仰ぎつるかも。
その時のノリトは過今來一貫の火として、人類の生活を司らるる木花咲耶比唐フ神言霊で次の如くである。
さくらばな・・・(祕言につき以下略)。
此の神言霊を「サ」の祕言と稱へ、衆魔調伏・神界築成の妙音だと学んだので特に百萬遍奉稱を念願するのである。
察よ。
擾擾たる嵐。
滔滔たる濁水。
月は林間に隠れて民屋眠らず。
かかる時、特に此の神言霊を稱へまつれよと神は教へ給ふのである。

第四節

今ノ大衆日本人ハ大キナ忘レ物ヲシテ居ル。
全世界人類ノ多数者ガ亦然ウデアル。
大キナ忘レ物トハ何カ。
○(ヒ)ト@(ヒカリ)トデアル。
○(ヒ)トハ日本語ニ伝ヘタ「タカマノハラ」デ、基督教徒ノ所云宇宙ノ外ナル「カミ」デアル。
ソレ故ニ之ハ未(イマダ)物ヲ見ザル境地デアル。
厳密ニ云ヘバ境地ト名付ケルコトモ出来ヌ零デアル。
@(ヒカリ)トハ日本語ノ「カミ」デ、基督教徒ノ所云「キリスト」ナル「十字架」デアル。
ソレ故ニ之レハ結ビ結バレタル物デ宇宙ト呼バルルノデアル。
此ノ◯ト@トハ、自己ノ来リシトコロデ、往ク先デ、何時デモ何処デモ目標トセネバナラヌノデアルカラ、誰デモ知ラネバナラヌノニソレヲ忘レテ居ル。
ソノ為ニ紛紛擾々トシテ乱レ騒イデ居ル。
ケレドモ、コレハ必シモ今ニ始マッタコトデハナイ。
人ニハ我利我欲ノ迷執ガ有ル為ニ、自己本来ノ○ヲモ忘レテシマフノデアリ、此ノ○ヲ忘レタガ為ニ迷執ニ囚ハレテ我利我欲ヲ擅ニスルノデモアル。
古聖ハコレヲ哀ト思召サレテ色色ノ教ヲ遺サセラレタ。
ソノ中ニ佛徒ノ稱名ト呼ブトコロノ「ナムアミダブツ」ノ祕言霊ガアル。
コレハ此ノ迷執解脱ノ妙音祕言デアル。
ケレドモ不幸ニシテ、佛徒ハ解脱後ノ@トナルコトヲ忘レテシマッタ。
ソノ為ニ子孫ヲ断チテ悟ラヌモノトナッタノデアル。
折角◯ヲ見テモ@ヲ見ナイ為ノ過誤デアル。
此ノ○ヲ悟リ、此ノ@ヲ掲ゲテ六道魔界ヲ調伏摧破シ、神國楽園ヲ築キ成スハ「御身之禊(オホミマノハラヘ)」デアリ「大祓(オホハラヒ)」ノ祕儀トシテ日本天皇ノ傅へ来マセル神事(カミワザ)デアル。
清水引く背戸の筧は垂氷して汲む人迷ふ山の一つ家。
あなかしこ。登る山道嶮しくもその隅ぐまに清水涌くなり。

第五節

古来人類世界ニハ宗教ガアリ、道徳ガアリ、経(タテ)ト緯(ヌキ)トノ関連ヲ明ニシテ大道ガ行ハレタ。
トコロガ現代人ハ神ヲ知ル心ヲ忘レ、行ク先モ分ラズニ立騒グバカリデアル。
マコトニ煤煙ヨリモ蒼蝿(ソウジョウ)ヨリモ穢(キタナ)ク煩(ウルサ)イ。
若シモ世ニ日本神道ノ傅ガ明瞭デ、ソノ祭典ガ行ハレテ居タナラバ、現在ノヤウナ、ミジメサ哀サハ知ラズニ「敷島ノ大和島根ニ庵シテ今日カモ見ラン花ノ盛リヲ」ト、櫻挿頭シテ歌ヒツツ舞ヒツツ太平和楽ノ生ヲ覚ムコトデアッタラウト嘆カルルノデアル。
日本神道ノ正傅ガ失ハレテカラ幾百千年デアルカ。
ソレハ知ラヌガ、現存ノ古典ト祭儀トハ共ニ雑揉混乱シテ真偽ノ判別モツカヌ状態デアル。
今、比較的世間デ聞キナレテ居ル「大祓」ニ就テミテモ、ソノ祝詞ノ正解スラアルヲ聞カズ、祭式ノ筋サへ立タヌト聞クノハ何トモ残念至極デアル。
現今世ニ在ル大祓ノ祝詞ガ、ソノ本文ト朝廷祭儀ノ次第書キトノ混ゼ書キデアルコトハ少シク注意スレバ判ッテモ、「宇宙成滅ノ祕説ト日本天皇観」「赤化思想ノ淵源ト民主主義ノ主路」「日本國体観ト神言霊」「數理観ト宇宙観」「死生観ト數理観」「神象観ト天皇國」「基督ト恵保婆」「十字架ノ信仰ト日神」「日神ト火神」「火神ノ激怒ト國土崩壊」「天地壊滅ト科学戦」「終卜始」等ノ上ニ就テノ啓示ノアルコトニ着眼シタ人ヲ聞カナイ。
此ノ祝詞ノ内容ヲ明ニシ、ソノ祭事ヲ厳修スルナラバ、妖魔ハ消散シ怨賊ハ亡滅スルノデアル。
ソレヲ何ウシテ朝廷ニ於カセラレテハ此ノ神傅ヲ失ハセラレタノデアラウカ。
嘆クトモ今更効無キコトデハアルガ、慨嘆長息止メ難キモノデアル。
何如ニ世ニ人ガ乏シイトハ云ヒナガラ、マコトニ浅猿(アサマ)シカリシカギリデアル。
大江ノ堤防ハ蟻蛭ノ微孔ヲモ許サヌノニ、日本ノ歴史ハ儒教、佛教、道教、陰陽道、耶蘇教、等等、近代思想ノ數數ト次ギ次ギニ流レ入ルママニ無批判ニ容認シテ、民族ノ思想分裂ヲ分裂スルガママニ放任シタ結果、人類世界カラ「神聖國體」ノ消エ失セタコトヲ記サネバナラナクナッタ。
サウシテ人間世界ハ遂ニ善悪美醜正邪曲直ヲ無視シテ、大小強弱ノ闘争紛乱ニ亡滅スルノ外ハ無クナッタノデアル。
道ヲ説イテモ大衆ニハ分ラズ、利ヲ追ヒ欲ヲ求ムルノ外ニハ耳ヲカサヌ。
ソレデ、御詔書ニモ、「利害休戚」ヲ宜ラセ給フコトト恐察セラルルヲ次第デアル。(昭和二十一年一月)      
下り行く谷の底道。温(ユ)の香。
底ニハ底ノ楽シミモ有ルコトデアラウシ、鶏ニモ豚ニモ、ソレゾレノ生ヲ楽シム心ノハタラクモノト思ハレルノデ、之等ヲ人間化サセルコトノ不可能デアラウ如ク、異教徒ハ異教徒相應ニヘリクツヲ並べテモ、ソレ相應ノ共鳴者ヲ得テ多数ト云フ武器ヲ悪用スルコト乱世ノ浅猿(アサマ)シサデアル。
ソウシテ、ソコニ人類ハ共同デ墓穴ヲ穿(ホ)ッテ居ル。
マコトニ憐ムベキコトデハアルガ、既ニ動キ出シタカラニハ大海ノ潮流ノヨウニ、潮汐ノ干潟ノヨウニ、日月ノ運行ノヨウニ必然ノ事実デ、不変ノ真理ニ由ルノダカラマタ何ウ止メヨウモナイ。
往ク人ヲ止ムル術ハ無イノデアル。
うまい(夢睡)とは 気づかぬままに 人の身の 牛に曳かれて寺に入るなり。
寺中唯見 墳塋(エイ)累累。
今ハ唯、懐古ノ涙ヲ灑ギテソノ古戦場ヲ弔フノミデアル。
つはもののみたまが躍る。爾霊山(ニレヤマ)の石は裂けたり。我が立つ石は。

第六節

何事を思ふとはなき身となりて花咲く日をば共に遊ばな。
時ハ既ニ過ギタリ。
時ハ未ダ来ラズ。
よしや今花咲く春に會はずとも道有る人と我が名留めむ。
懐古ノ涙今更ニ新ナリ。
市井ノ微臣伏シテ帷フ。
天皇ノ統治スルハ天皇國ニシテ、神聖ノ統率スルハ日高見國ナリ。
日本天皇ノ建國ハ遼遠ニシテ太古ニ在リ、其ノ國運ハ時ニ隆替ヲ免レズ、政変亦屡々ナリキ、然リト雖モ、
天皇ハ萬世一系連綿トシテ変ラセ給フコトマシマサズ。
是レ人為ニ依ルニアラズシテ宇宙真理ノ顕現ナルガ為ニ然ルナリ。
抑々宇宙トハ経ト緯トノ存在ナリ。
経有ルガ故ニ緯有リ。緯有ルガ故ニ経有リ。之レヲ描イテア(註 : ◯と十を重ねた形)トナス。
之レハ是レ、神ノ子、乃チ神ナル統一躰ナリトノ義ナリ。
統一躰ナリトハ中心ト外廓トノ不二不一ナル事実ヲ明ニ現シ得タル「物」ナリトノ意ナリ。
夫レ物ハ皆中心有リ。中心有ルガ故ニ外廓有リ。物ハ皆外廓有リ。外廓有ルガ故ニ中心有リ。中心ト外廓卜不二ニシテ不一ニシテ、別ツベカラズ離ルルコト能ハザルナリ。
是レヲ、日本建國ノ原則ナリトナス。
是ノ如キ日本建國ノ原則ハ宇宙成立ノ原則ニシテ、萬邦據ラザルベカラザル神則ナリ。
古往今来東西大小ノ国家ハソノ成立ノ経路ヲ異ニシ國躰亦同ジカラズ。
然リト雖、窮極ニ於テ此ノ原則ニ據リテハジメテ安定シ、此ノ原則ニ背キテハ悉皆亡滅シタルナリ。
日本古典ハ此ノ理ヲ教フルコト懇切丁寧委曲ヲ盡シ、日本神道此ノ祭事ヲ傅ヘテ天壌無窮ノ実ヲ現ハシタルモノナリ。
然ルニ不幸ニシテ、中古以来此ノ学衰へ、此ノ行顧ラレズ、上下共ニ外夷ノ邪説魔行ニ溺レテ遂ニ終ニ「ポツダム宣言受諾」ノ汚辱ヲ招クニ到レリ。
今此ノ大変局ニ際会ス。
須ラク舊来ノ晒習邪俗ヲ掃攘シテ、ア(註 : ◯と十を重ねた形)(ヒ)の神御垂範ノ神理ニ則リ、経ト緯ト平面ト立躰トノ不一不二ナル@(ヒカリ)ヲ掲ゲテ神聖國躰ノ古ニ復(カヘ)サザルベカラズ。
神聖國躰ハヒトリ日本古典ノ傅へ日本國家ノ標識基準トナリタルノミニアラズシテ、太古以来全人類ガ掲ゲ来レル傅燈ナリ。
支那ニ於イテ聖ト呼ビ+ト描キ日ト教へ光ト言ヒシモノモ、中央亜細亜ヨリ以西ノ諸國ニ於イテイ(註 : ◇と×を重ねた形)卜作リ@ト描キ+ト数へ十字架ト讃美シタルモノモ、乃至、天國浄土、楽園、天池、中國等ト各國各地方ニ傅承スルトコロノモノモ皆共ニ此ノ@(ヒカリ)ヲ標識基準ト仰ゲルナリ。
然ルニモカカハラズ、人類ハ此ノ@ヲ忘レテ雑糅混淆ノ魔身ト化シ、紛々擾々闘争破壊ヲ事トシテ寧日無キ悲嘆ヲ繰返シツツアルナリ。
今ヤヒトリ日本ノミニアラズシテ、全世界人類ハ之等ノ魔身邪想ヲ調伏シ摧破シ教化誘導スル憲法ヲ制定セザルベカラザル時トハ成レリ。
夫レ大宇宙ハ唯是レ一ツナリ。人類世界モ唯一ツナリ。
各人各自モ世界ガ一ツナリ。此ノ事理ニ随ヒテ全世界人類
ハ須ラク同一精神ノ憲法ヲ遵奉シテ、此ノ世ナガラノ神界楽土ヲ築成セザルベカラズ。
然リ、真ニ然リ。
然レドモ人類世界ハイマダ國境ヲ撤セズ牆壁ヲ棄テズ。
是レソノ各國各民族ガ過去ノ径路ヲ異ニシ風俗習慣ノ同ジカラザルガ為ニ容易ニ一圓光裡ニ團樂歓語シ難キニ因ル。
此ノ故ニ各國各民族ハ暫、各自ノ歴史ノ上ニ立チテ、○(レイ)位ヲ仰ギツツ全人類世界ノ憲法ヲ立案シ制定セザルベカラズ。
◯(レイ)位トハ全人類ガ、イマダ知ラズシテ「唯位置ノミ有リ」ト思ヘル大宇宙神ナリ。
サレバ現在世界ニ行ハルル宗教的儀礼ニ拘ハラズ信教ノ何如ヲ問ハズ、各國各地各人各自ガソノソレゾレノ信仰ニ応ジ議政壇上ヲ神壇トシテ、基處ニソノ○(ヒ)ヲ仰グ。
○(ヒ)ハ是レ主権ナラザルノ主権ニシテ中外不二ノ零境ナリ。
零ナリトハ客観的ノ称呼ニシテ大平等ノ義ナリ。零ソレ自躰ガ主観シテハ一ナリト呼ビ@(ヒカリ)ナリト称ス。
自主独立セル人類ガ此ノ○(ヒ)ヲ神議ノ対象トシテ神界楽土ヲ築ケバ、是レ亦@(ヒカリ)ナル一ツニシテ其處ニ人類ノ主権ヲ認ムベキナリ。
従ッテ人類ガ此ノ主権ヲ行使スルハ人類世界ヲ@(ヒカリ)ノ國卜成スニ在ルナリ。
是ノ如キ@ノ國ヲバ暫、假ニ大平嘉悦ノ聯邦楽土ト呼ブ。
建國ノ径路、居住ノ地域ヲ異ニセル現在ノ人類世界ハ、ソノママノ國境領域ヲ撤去セズト雖、ソノ出発シ、マタ帰入スルトコロヲ窮メ来レバ、必竟大平等ノ○(ヒ)ニ外ナラザルナリ。
此ノ故ニ全世界人類ハ此ノ◯(ヒ)ヲ仰ギテ一圓ノ聯邦ヲ築キ一團ノ聖衆ト成リテ、唯一光明ノ@ノ裡ニ都ベテガ重々無盡無量ノ圓光タル事実ヲ顕現セザルベカラズトナスナリ。
昭和二十一年五月二日、「朝日新聞」ハ前日ノメーデーヲ次ノ如クニ報道セリ。「イマハ日ノ丸ノ旗一本モ見当ラヌ。会場ノマイクガ鈍イ演説音ヲタテテヰル。サダカデハナイガ、アレハ天皇制打倒ノ熱弁カモシレヌ。雨ガフッテ來タ。記者モ会場へ。」
先師ハ三十許年前、警策ヲ弄シテ次ノ如クニ曰ヘリ。
「日本人ハオ前タチノ思ッテ居ル程ニ忠義デハナイ。今ニソノ判ル時ガ來ル。」
心せよまた心せよ心せよ。心の駒に心許すな。
藻塩草(モシオクサ)塩焼く里の蜑少女(アマオトメ)まなくひまなく君をこそ待て。
いそのかみ古きゆかりの香をとめて宮も藁屋も一つには住め。
築キテハ崩シ、崩シテハ築ク。生レテハ死ニ、死ニテハマタ
生ル。
生カ死カ、築成カ崩壊カ。
非ズ非ズ。唯是一圓連環無際無涯。故ニ呼ンデ「球」トナス。
窟(イハヤ)ハ闇シ。イザ子供。日向(ヒナタ)ニ出デテ群レ遊べ。光ヲ浴ビテ舞ヒ遊べ。老イタルモノハ野ニ立チテ落チタル穂(イナホ)採リテ見ヨ。人ノ知ラザル幸(サチ)有ラム。若キ男子(ヲノコ)ハ根ヲ掘リテ生命(イノチ)ノ本ヲ尋ネ見ヨ。人ヲ育ツル道ヲ得ム。少女媼(ヲトメ・ヲウナ)ハ手ヲ取リテ花ノ雫(シヅク)ヲ酌ミ交ハセ。國ヲ治ムル法(ノリ)存ラム。
昔ハ孔聖獲麟ニ遇ヒテ「春秋」ノ筆ヲ擱カレタリト聞ク時ヲ隔ツルコト二千五百許年。
我等ノ祖先ガ幾千万年ノ古ヨリ拮据経営シテ漸ク僅ニ築キカケタル此ノ國ハ今、「クラゲナスタダヨヘルモノ」ト転落セリ。 
漂流氓國(クラゲナスタダヨヘルモノ)ハ亦一歩一歩ト神聖國体ヲ築成セザルベカラズ。
鳴呼。マタ遼遠ナルカナ。
冀ハ之ヲ努メ、之ヲ励ミテ天神諸命(ミオヤカミノミオシヘ)ニ応へ奉ランコトヲ。  以上。

昭和廿一年五月七日
鷺宮に在りてこれを筆録す。
                      多田雄三 山谷