太子流神道私考            
特に依田貞鎮翁と神道潅伝に就いて   

                                                 石 田 盛 山    平成26年11月23日記

1、はじめに

2、『旧事本紀』に就いて

3、『先代旧事本紀大成経

4、大成経の伝承者 (江戸期まで)

5、偏無為・依田貞鎮翁と太子流神道

6、神道潅伝

7、太子流兵法



1、はじめに

禊流の神道は記紀三典一貫の神伝で『古事記』『日本書紀』『旧事紀』の精読・研究が必須であると先師・多田雄三先聖は教えられた。

『古事記』(上・中・下三巻)

水野満年翁旧蔵本



『日本書紀』

『舊事本紀』十巻本

水野満年翁旧蔵本


この教えに従い記紀三典を学んでゆく中で、『旧事紀』には大きく四本あり、一般に知られて居る十巻本の『旧事本紀』のほか、白川家三十巻本、ササキ伝三十巻本、七十二巻本『旧事本紀大成経』があり、大まかには似ては居るものの、それぞれ異なった部分があることを知った。

大野七三著『先代舊事本紀訓解』十巻本の訓解書
三重貞亮著『舊事紀訓解』二冊
三重貞亮著・松下松平編『舊事紀』(白川家三十巻本)
宮東齋臣著『先代舊事本紀大成経』

(ササキ伝三十一巻本の訓読書)



そこで、これらを一通り目を通して見たところ、自分自身の感覚としては、『先代旧事本紀大成経』七十四巻が、その内容からして最も深いものがある様に思われた。

『先代旧事本紀大成経』は正式には『神代皇代大成経(かんみよすめみよのおほひなるつねのり)』と言い、正部・副部合せ二十八本紀、七十二巻に『目録』と『序』とを合せた七十四巻の大著である。

正部は前半の『神代本紀』『先天本紀』『陰陽本紀』『黄泉本紀』『神祇本紀』『神事本紀』『天神本紀』『地祇本紀』『皇孫本紀』『天孫本紀』の十本紀・十六巻を神代紀と言い、後半の『神皇本紀』『天皇本紀』『帝皇本紀』『聖皇本紀』の四本紀・二十二巻を皇代紀と言うところから、 
 推古天皇 御自ら『神代皇代大成経』と名付けられたものである。

副部は、『経教本紀』『祝言本紀』『天政本紀』『太占本紀』『暦道本紀』『医綱本紀』『禮綱本紀』『詠歌本紀』『御語本紀』『軍旅本紀』『未然本紀』『憲法本紀』『神社本紀』『国造本紀』の十四本紀・三十四巻である。


『先代旧事本紀大成経』七十四巻本

(筆者蔵)


この『先代旧事本紀大成経』は、江戸時代の黄檗宗の高僧・潮音道海禅師により延宝七年(1679)に上梓されたものの、幕府より偽書として禁書扱いされたとのことであるが、この書の称える内容の一部に就て意見が別れるのは理解できるものの、何故、この神書の全てが禁止されなければならなかったのか、また、禁書だからと、恐らく中味も読まずに葬り去られて居るのであろうことは理解に苦しまざるを得ない。

潮音道海禅師が開基した臨川寺(岐阜県関市)
臨川寺に鎮まる潮音道海禅師寿像
臨川寺境内に鎮まる潮音道海禅師寿塔

昭和初期に日祚擁護者として活動した鼓城・松尾清明氏はその著『古憲法明辨』の中で「要するに馬子の序があるからと云うて、旧事紀全体を否認すると云ふ事は許すべきでない。それは何れ千年以上傳写して来たものだから、多少の字句の誤記や脱漏衍増は免れぬ。又後人が手を入れた点があるが、其れは其の心を以て見ねばならぬ。」と言われて居るが、まさにその通りであると思う。

鼓城・松尾清明著『古憲法明辨』昭和三年刊


小生は、歴史家でも、文学者でも、神道学者でも無く、市井の一修行者であり、その歴史的、政治的、文献的な事実に就ては結論を出す資格も能力も無いが、その内容は珠玉の言葉に満たされて居るとしか思えないのである。

『続神道大系』所収「先代旧事本紀大成経」四冊
須藤大幹著『先代舊事本紀(神代皇代大成経)』九巻

(七十二巻本の訓読書)
『先代舊事本紀抜要』九巻

(筆者蔵)
そして、筆者が所蔵する『先代旧事本紀大成経』七十四巻本及び『先代旧事本紀抜要』九巻本の江戸初期の写本を始め、須藤大幹氏読解の『先代旧事本紀』九巻、小笠原春男氏監修の『続神道大系』所収「先代旧事本紀大成経」四冊ほか、国会図書館本、岩瀬文庫本などを入手し読み込むと共に、江戸時代中期にこの『先代旧事本紀大成経』を信奉し、その伝承に一生を捧げたと伝えられる偏〈正しくは行にんべん〉無為(へんむい)こと依田貞鎮(いださだかね)翁に就て調べて行くと、依田貞鎮翁が天覧に供した著書、『大成小補』37冊、『諸神鎮座紀』20冊、『先代旧事本紀中箋』33冊、『秘伝録』18冊の108冊の他に、神道潅伝伝書十数巻などがあり、これらを読み込む内、『先代旧事本紀大成経』と表裏を成す聖徳太子流の神道が実伝として存在したことを確認した。

その中の『神拝礼伝』に「聖徳太子三十六代相伝・偏無為翁・依田貞鎮」とあるのも、まさしくこれを裏付けて居る。

然も、その後書きには「右、神拜三重略神事之式は皇太子(聖徳太子)より的的相伝を為すと雖も、実(まこと)は皆、祖(天祖)尊(天尊)及び七代・五代の神伝也」とあり、これは我が禊流の先師、多田雄三山谷翁が千二百七十九日間の祓禊(みそぎ)の末、神界の祕事を人間界に齎された如く、聖徳太子も『先代舊事本紀大成経』及び太子流神道の中に、皇室に伝わる内録及び吾道・物部・忌部・卜部・出雲・三輪の六家の伝承と合せて、夢殿において金人(住吉神・鹿島神)から齎された神界の祕事を織り込まれたことを示唆するものであると思う。

依田貞鎮翁は、武州・府中の人で、天和元年(1681)に生まれ、字(あざな)は伊織と言い、偏無為と号した。
後に江戸に来て谷中に住み、人となり温雅にして善を喜び静を好み、神・儒・佛・道の教えを修め、その蘊奥を極めるも日夜怠らず、中年より『先代旧事本紀大成経』を信奉し、深くその学を志した。
その、著すところの書は百数十巻に及び、遂に天覧を賜り、生涯妻を娶らず、亡くなる半年前に「吾れこと終えり」と言い、明和元年(1764)三月十七日、八十四歳で帰幽、弟子は四百人居たと言われて居る。

府中市にある善明寺
依田貞鎮翁の墓碑

事実、府中市・善明寺にある依田貞鎮翁の墓碑銘には「延享三年(1746)丙寅秋、東叡大王(上野東叡山寛永寺座主)、特に摂津の四天王寺に命じて、君が修める所の神事祭法を伝へしむ。」と法友・善明寺證海が記して居るのを見ても、当時は表向き『先代旧事本紀大成経』は幕府に依り禁書にはなって居るものの、裏では相当な支持層があったことが窺われる。

因みに、前述の『神拜礼伝』の奥書きには、依田貞鎮翁の門人として大平山神主・青木政芳の名が有り、この大平山とは、恐らく栃木県の大平山神社であろうと思われ、このことから神道界でも支持者が存在したことを確認出来る。

又、潮音道海禅師が閉門蟄居中に著した『大成経破分答釈篇』の冒頭にも「夫れ内外の二宮の神職等の立意に約せば、この書の版を滅して流行すること勿(な)から使めんとことを要す。余は口を箝(はさ)みて云ふこと無からんと欲すと雖も、若し、黙して弁ぜざる時は、恐らくは日本第一の神書は忽ちに亡滅し、秘密三部の神道は、立ち処に断絶す。故に止むことを得ず略(ほ)ぼ答釈に及ぶ。」と記して、『先代旧事本紀大成経』と「秘密三部の神道」の湮滅を憂いて居る。

秘密三部の神道とは、宗源(カンツモト)・斉元(カンツイミ)・霊宗(カンツムネ)の三部五鎮の神道のことであるが、この三部を統括する灌(ミソソギ)伝と云うものがあり、これを総称して「三部灌伝」と云う。

潅伝に就ては、昭和60年代に『さすら』誌上に於いて布施弥平次氏が「潅伝私訓解」「神道潅伝考」としてその一部が紹介されたが、当時から殆んど知られることの無い存在であった。

抑も、潅伝とは、天児屋根命の神裔・中臣家の伝える宗源伝、天太玉命の神裔・斎部家の伝える斉元伝、八意思兼命の神裔・阿智家の伝える霊宗伝の三伝を総括する饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の神裔・物部家が統括する神道秘伝のことを言い、宗源伝、斉元伝、霊宗伝それぞれ二十四伝ずつあり、その合計七十二伝を総合したものである。

この「秘密三部の神道」の七十二伝の数は『先代旧事本紀大成経』七十二巻と符合し、恰も、仙道に於ける経典『老子道徳経』と行法『老子法』とが表裏を為して居るが如くである。

また、三部潅伝には小生の知る限り、三部、つまり宗源・斉元・霊宗、それぞれに仮書・実書・竟書と三種三重の伝、つまり九巻があり、更に、灌伝として初篇、再篇、竟篇の三巻あるが、この布施氏が研究されたのはK瀧山不動寺に伝わる潮音伝の潅伝で、これは仮書と実書の混ざったものであり、これのみではその全貌を明らかにすることは困難であったろうと思われる。

それは、潅伝の『再篇』に「二、不書」として「家々、家書を成すも、必ず宗源・斉元・霊宗の名目を書かず、何を以ての故か、この伝これ極密にして、未だすなわち称へず、これ筆を停めるを以て極宗と為すに依る故と謂ふ。」とある如く、その存在すら極秘であり、これを知る者は極く限られて居た為である。

そして、これらを研究して見ると、これこそ吾が禊流の神言・神数・神象と交錯する神伝でも有り、確かに『先代旧事本紀大成経』とその渕源を同じくして居ることが窺われるのである。

そこで、太子流神道の道統に就て調べて見ると、多くは仏教者が関係して居ることが判明した。

例えば、臨済禅に伝えられる「臘八示衆」は白隠慧鶴禅師の弟子である遂翁禅師が白隠禅師の臘八接心提唱を書き留めたものと言われており、現在も僧堂では臘八大摂心の時に毎夕、老師によって読み上げられて居るが、その「第三夜」に「又(また)坐禅は一切諸道に通ず。若し神道を以(もっ)て之(これ)を云(い)えば則ち身は即ち天地の小なるものなり。天地は則ち身の大なるものなり。天神七代、地神五代、並に八百万(やおよろず)の神悉(ことごと)く皆(みな)心中(しんちゅう)に鎮坐(ちんざ)せり。
 此(かく)の如く鎮坐の諸神(しょじん)を祭祀(さいし)せんと欲せば、神史に所謂(いわゆ)る霊宗(れいしゅう)の神祭に非(あらず)ずんば則ち之(これ)を祭る事(こと)能(あた)わず。霊宗の神祭は禅定に非ずんば之を祭る事能わず。脊梁骨(せきりょうこつ)を豎起(じゅき)し気を丹田に満たしめて正身端坐、願見耳聞一点の妄想(もうぞう)を雑(まじ)えず、六根清浄(ろっこんしょうじょう)なる事を得るときは、則ち是れ天神地祇を祭る也。一の坐と雖も其(そ)の功徳鮮(すくな)しとなさず。是の故に道元禅師(どうげんぜんじ)曰く、勤むべきの一日は貴ぶべきの一日なり。勤めざるの百年は恨むべきの百年なりと。嗚呼おそるべく慎むべし。」とあるのを見ても、臨済、曹洞、黄檗、浄土門などの仏教者が大成経の神道を相当学んで居たことが判る。

又、白隠禅師の法嗣である東嶺圓慈も儒教とともに神道を研究して居り、この時代は神儒仏一致の日本思想が求められて居た為、その主流が潮音道海を始めとする当時の知識人である仏教者であったであろうことが窺われる。

然し、依田貞鎮翁の如く、純粋に『先代旧事本紀大成経』を信奉して居た伝承者も居り、その伝えられた神道は仏教・儒学・道教を心得ては居ても、仏教臭は無く、非常に洗練され、且つ奥の深い純神道であると驚嘆せざるを得ない内容なのである。

その故か、上野国沼田藩・黒田直邦候はじめ武家階級にも多く学ばれた様で、その思想の潜在力は山鹿素行の『中朝事実』と等しく、幕末に至って勤皇論の原動力ともなったものとも思われるのである。

扨、この聖徳太子が纏められた神道(太子流神道)の内容であるが、神・儒・佛一体をその理想とされて居り、その全容は『聖皇伝』に全貌が記されて居るが、要約すれば以下の如くである。


儒学は束(小)学と弘(大)学とに別け、更に束学は(小)束学と全束学に分かれ、弘学も(小)弘学と全弘学に分けられる。

(小)束学は『孝経』「大学』『中庸』、全束学は『論語』『孟子』、(小)弘学は『禮記』『春秋』『詩経』『書経』『易経』、全弘学は『老子』『諸子』を学ぶとされて居る。


佛法も束学と弘学に別けられ、束学は総束学と別束学に分かれ、弘学も別弘学と総弘学とに分けられる。

総束学は『四恩経』『五善経』『三諦経』、別束学は『四十二章経』『戸迦羅越経』『得心経』、別弘学は『宗教』、宗弘学は『大蔵経』を学ぶとされて居る。

この『大蔵経』以外の『四恩経』『五善経』『三諦経』『四十二章経』『戸迦羅越経』『得心経』『宗教』に就いては、寡聞にしてどの経典なのかは不明であるが、膨大なものであることは理解できる。


神道に於いても束学と弘学に別けられ、儒学・佛法同様、束学は小束学と大束学、弘学も小弘学と大弘学とに分けられる。

神道の小束学は『神教経』『宗徳経』を学び、天の五祭(産誕祭・出窟祭・避魔祭・降雨祭・造化祭)と地の五祭(開圃祭・火焼祭・伏夷祭・降臨祭・杵築祭)を修めることとされる。

神道の大束学は『大成経二十八本紀』全篇を通じ、奇正の事理、学・行を為すとされる。この中に当然、三部潅伝も含まれて居る。

そして、この小束学・大束学に、異儒(儒学)の弘学・束学を加えて小弘学となり、更に釈学(佛法)の弘学・束学を加えて大弘学となり、これにて神道の精微を尽した「宗天の大道」が全備し、これこそ聖徳太子が目指された日本神道の姿であると示されて居る。

これは理事一致の実に膨大な体系であるが、その神髄は聖徳太子の「和を以て貴しとなす」と言う名言の通り、萬有調和の大精神を第一義とするものであると思う。

またそれは、聖徳太子が夢殿に於いて金人(鹿島神・住吉神)に「(神・儒・佛)三法を弘むる意趣」を質された折に答えられた「一つには宝祚(皇統)の永(ひたぶ)らんが為、二つには万国を安んぜんが為、三つには覚路(悟りの道)を闢(ひら)かんが為、四つには群邪を撃たんが為」と言う大理想を実現する為の「祈り」であろうと畏れながら拝察する次第である。

何故、この様な素晴らしいものが、これまで世に出ることも無く数百年間も潜龍の如く沈んで居たのか、果たしてそれが神々の思し召しであったのか、筆者の如きが窺い知るところでは無いが、真正の神道として今一度見直す時が来たのではないかと考え、ここに拙稿を掲載し、有縁の志士に紹介したいと思う。

混迷する現代の一光明とならんかと祈念しつつ。


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1、『旧事本紀』に就いて

2、『先代旧事本紀大成経

3、大成経の伝承者 (江戸期まで)

長野釆女
潮音道海
忍懲
依田貞鎮
大我
神阿


4、偏無為・依田貞鎮翁と太子流神道

5、神道潅伝

6、太子流兵法