先代旧事本紀大成経     
                                                                                石 田 盛 山

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『先代旧事本紀大成経』は神儒仏三教調和の思想を元とした神道の根本大経であり、一般には『旧事紀』『旧事本紀』『大成経』など様々呼ばれて居るが、『神代皇代大成経(かんみよすめみよのおほひなるつねのり)』が正式な名称である。

『先代旧事本紀大成経』七十四巻本

(筆者蔵)


この書は正続合わせて全七十四巻の大著であるが、今を去ること1400年ほど前の 推古天皇三十年(622)秋九月に聖徳太子に依り編纂されたものであり、『古事記』『日本書紀』を遡ること90年前に録されたとされる神書である。

『古事記』は天武天皇が稗田阿礼に口述された旧辞を、元明天皇の勅命に依り、太安万侶が和銅五年(712)に纏めたもので、『日本書紀』は更にその八年後、舎人親王らに依り元正天皇の養老四年(720)に世に出されたものであるが、依田貞鎮翁は『大成経来由審問稽弁』で『古事記』に就いては「唯、皇統を紀し、事実はなはだ省略にて、更に神代の蹟分明ならず、皇紀もまた委悉に非ず。」と、また『日本書紀』に就いても「神代の事蹟、分明ならず、衆説を輯録し紛紛、然も紬繹し難し。且つ、天神七代の事蹟を紀さず、また皇天神理の道の誨へ無く、諸神鎮座の本事無し。残欠最も多し。」と弁ぜられ、この『古事記』と『日本書紀』の足らざる部分を埋め合わせることの出来るのが『先代旧事本紀大成経』であるとして居る。

この『先代旧事本紀大成経』は延宝七年(1679)に、黄檗宗の僧・潮音道海禅師に依って正部四十巻が刊行され、初めて世に出されたが、当時は徳川幕府の政策に依り、三年後の天和二年(1682)偽書の汚名のもとに発行が禁じられ、版本、版木は悉く没収・焼却された上、関係者も処分されることとなつた。

そして、それ以後の学者達もこれに従って、この神書を深く研究することを憚って来た経緯があり、今日に到ってもその風潮は受け継がれ、歴史の底に埋もれたままになって居る有様である。

抑も、この書は 推古天皇の勅命に依って編纂されたもので、蘇我蝦夷の討伐の折、他の太子編纂の国書や珍宝と共に蘇我蝦夷の私邸にあったものを、蝦夷がこれを焼いて自殺した際、船史(ふなびと)の恵尺(えさか)と言う者が素早く入って焼け残ったものを持ち出し、中大兄皇子(後の天智天皇)に献上したと伝えられて居る。

『先代旧事本紀大成経』の内容に就ては、成立の経緯と全貌を明らかにする推古天皇の「神代皇代大成経序文」を読めば一目瞭然である。

『神代皇代大成経 序』


これに就て、依田貞鎮翁は『大成経来由』で「大成経は本の名は先代旧事本紀と云ふ、即ち聖徳太聖の録したまへる所にして、是れ日本中津國の本元の大経なり。今の書、外題に大成経として、内題に先代旧事梓行の本紀とす。蓋し潮音梓行の時にする所なり。その先より印行する書に先代旧事本紀と云ふ十巻の物あり。これに簡別せんとなり。推古天皇御製序に神代皇代大成経の序とあり、外に表するなりと云ふべし。その書分って二つとし、正部・副部と言ふ。すべて二十八の本紀にして帙をなすこと七十二巻なり。伏して惟れば、この書の権輿は推古天皇の御製の序に曰く。」と述べて居る。

『神代皇代大成経序』には、 以下の如く記されて居る。

推古天皇の二十八年(620)の春二月、皇太子八耳王(聖徳太子)が推古天皇に「吾が中津國はこれ神國なり。吾が天皇はこれ日孫なり。故に、神徳盛んなれば則ち國家は豊かなり、神理の堅ければ皇政隆んなり。その神徳の盛んに神理の堅き者は神代の舊事を失ずして、神鎮に事(つか)へまつりて神道を修むるにあり。それ神鎮に事へまつり神道を修むる者は、先皇の跡を失はずして、先皇の道に止まるものなり」と奏上したのをうけて、真実の公紀を将来に伝えるべく、大臣・蘇我馬子と太夫・中臣御食子に命じ、皇室に伝わる内録(うちつふみ)及び吾道、物部、忌部、卜部、出雲、三輪の六家に伝わる書紀を集めさせ著録を始めた。

ところが「神代の事を見るに未だかつて分明ならず」と言うことになり、「疑ふらくは隠録(かくしふみ)あらんか」との聖徳太子の命に依り、重ねて六家に問い質したところ、忌部家と卜部家から「臣等、敢えて祖紀一行をも惜まず。但し、祖神の土筺あり。昔、磐余彦(イハレヒコ)天皇(神武天皇)の御宇の時、豊天富命(とよあまとみのみこと)、天種子命(あまのたねこのみこと)これを神魂(かんみたま)と称して以って土筺を本祠に安(おく)のみ」との答えが帰って来た。

そこで、聖徳太子は枚岡宮(枚岡神社)に大徳・小野妹子、泡輪宮(安房大社)に大連・秦河勝を派遣し、それぞれに宣命を啓いたところ、二宮共に神が現形し「天トヲル、地トヲル、人トヲル、大聖皇太子の命(おほせ)畏み奉る」と言って、土筺を捧げ奉ったので、二人はこれを宮中に持ち帰った。

ところが、群臣がこれを幾ら開けようとしても、開けることは出来ない。

そこで、聖徳太子が自らの御手を差し出されると自然に蓋が開いて、中から五十個づつの土簡(はにふだ)が現われ、この簡を見ることに依り、神代の事が分明し、ここに大録(大成経)の編纂が成ったのである。

大録(大成経)成って後は、土簡は元の如く理(おさめ)てそれぞれの本祠に返された。

この神書は一旦は官庫に収められたが、まもなく亡失を恐れ、神尊の託宣に依り、五十宮(伊雑宮)、三輪宮(三輪大社)、天王寺(四天王寺)の三祠に秘蔵されることになった。

以上であるが、この経緯に就ても、依田貞鎮翁が『大成経来由審問稽弁』に「書成って、太子天皇に奏してのたまはく。臣、密(ひそか)に天数を望むに、恐らくはこの書、当に久しからずして亡失すべし。ここに於いて、天皇深く恐れ篤く嘆きて、中臣の御食子の太夫(鎌足の父)に命じて五瀬(伊勢)の國に遣わし、天孫大神(内宮)に問ひ奉りたまふ。この書、何の方便有りて滅せざることを得んと。大神託してのたまはく。誠なるかな、神代皇代大成の経(大成経の名、この神宣に出づ)、これを神祠に秘(かく)せば滅びずと。天皇、善い哉、皇太神に代り奉り、これを答ふ(皇太神とは天照太神なり、これ、五十宮に鎮座したまふなり)。この故に 天皇遂に神尊の託宣に抛任(まか)せて、これを五十宮と大三輪宮及び四天王寺に秘したまふ。これこれを宮中の日月と為して窮まり無き世を照さんと欲したまふ所以なり(三祠に秘納、秦河勝及び鎌子、 推古天皇の遺詔を蒙り、これを蔵秘する者か)。この秘納知る人無し。」とその詳細を記して居る。

三祠に秘納された『大成経』がその後どうなったのかは不明である。

四天王寺は兵火に遭って居り、三輪宮(大神大社)には遺って居る筈ではあるが、共に定かではないと言う。

また五十宮(伊雑宮)から流出したものも、何処かに伝わって居ることを願うのみであるが、潮音道海の刊行した『大成経』は伊雑宮の関係者である長野釆女からもたらされたとのことである。

この他にも、聖徳太子の命を受け、太子薨御後も『大成経』編纂に携わった秦河勝ゆかりの神社にも秘蔵されて居ると聞いて居る。




『先代旧事本紀大成経』は正式には『神代皇代大成経(かんみよすめみよのおほひなるつねのり)』と言い、正部・副部合せ二十八本紀、七十二巻に『目録』と『序』とを合せた七十四巻の大著である。


正部は前半の『神代本紀』『先天本紀』『陰陽本紀』『黄泉本紀』『神祇本紀』『神事本紀』『天神本紀』『地祇本紀』『皇孫本紀』『天孫本紀』の十本紀・十六巻を神代紀と言い、後半の『神皇本紀』『天皇本紀』『帝皇本紀』『聖皇本紀』の四本紀・二十二巻を皇代紀と言うところから、 
 推古天皇 御自ら『神代皇代大成経』と名付けられたものである。

副部は、『経教本紀』『祝言本紀』『天政本紀』『太占本紀』『暦道本紀』『医綱本紀』『禮綱本紀』『詠歌本紀』『御語本紀』『軍旅本紀』『未然本紀』『憲法本紀』『神社本紀』『国造本紀』の十四本紀・三十四巻である。


その概要は『神代皇代大成経序』と、これを訓読・解説した依田貞鎮翁の『大成経来由』から引用すると以下の如くである。



我が大王(聖徳太子)の録したまふ所は所謂、神代本紀、先天本紀、陰陽本紀、黄泉本紀、神祇本紀、神事本紀、天神本紀、地祇本紀、皇孫本紀、天孫本紀、神皇本紀、天政本紀、太占本紀、禮綱本紀、詠歌本紀なり。

今、 朕(推古天皇)、天孫太神の天詔に依って加ふる所は所謂、聖皇本紀、経教本紀、祝言本紀、暦道本紀、医綱本紀、御語本紀、軍旅本紀、未然本紀、憲法本紀なり。

都合二十八本紀、名づけて先代旧事本紀と言ふ。これ日本中津国の大経なり。


神祇本紀(第一巻)

二尊(天祖・天尊)と、宗源の五鎮霊大の極(神・心・理・氣・境)と、ニ七造化(天神七代・各二神)、九天六地の成(九重の天・六の地)、五行の霊運(木・火・土・金・水)相剋・相生の理と、王道(倫道)・師道(獨道)の正治・助治の法と、三國(人界・天宮・根底)の天有、善悪の自ら向う帰(をもむき)を明かすなり。(『神代皇代大成経序』)

(神代本紀に上件の事を詳らかに明すなり。『大成経来由』)


先天本紀(第二巻)

四天(空天・開天・盛天・喪天)の成壊、曜宿(七曜・二十八宿)の旋行の度、天地神度の結結として際(かぎり)なき政を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(この紀は天文の本元、神教の極宗なり。天皇曰く「先天本紀は吾が神教の極宗・天下の要篇なり。異国の諸賢等は、或いは発明を以て議り、或いは算術を以てして擬して天事を図ると雖も、皆な臆断にして未だその理を尽くさず。吾がこの霊篇は直に是れ天説にして、而も神の伝なり。又、聖の編するなり。この篇なくんばその決することいかん。道の本ここに有り。怪しむことなかれ。」『大成経来由』)
陰陽本紀(第三巻)

斉元の尊種、婚産、國・神の業、徳に憑りて禅(ゆず)りを受け、勝れたるは主となり、劣れるは臣となる断りを明かす。(『神代皇代大成経序』)

(この紀は、諾冊二尊の事跡、日本の生元、日月の照元、諸佛の産生・化生等のこと明なり。『大成経来由』)

黄泉本紀(第四巻)

三神(理の神・氣の神・精の神)三躬(理の躬・精の躬・氣の躬)五理(神・心・理・氣・境の五鎮の理)二極(過の極・中の極)の宗、天廳冥判、六衢(黄泉国・常世国・高天原・方外国・地人国・海童国)の往還の界、穢悪の祓解し、邉を捨て中を取るの密を明かす。(『神代皇代大成経序』)


神祇本紀(第五・六巻)

天神地祇、正きは上・荒きは下なる序、桑穀生せる元の皇政の大要、則ち三器の三徳(三器は三種神器、三徳は智・仁・勇)・三神(天思兼命・天物梁命・天太玉命)の三解論、存父の現事・亡母の冥事の孝(おやつかへ)、神楽の調曲の神情の和解の操り、天祚相続、臣に下れば昇らざるの格(きはめ)、日胤改めず他の嗣即(つ)かざるの定、宿位(二十八宿の位を定む)・天位(すべて星の位・三台星を定めむるなり)・三才(天・地・人)主領の官を明かす。(『神代皇代大成経序』)
神事本紀(第七・八巻)

鎮道の修行、二元(霊元・界元)・五大の基(太大・霊大・形大・物大・法大これなり)、斉法・禁法、天供・地供の祭を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(天の五祭・地の五祭、この十神事は祭供・祭法の根本なり。皆ここにあり。『大成経来由』)
天神本紀(九・十巻)

霊宗の天心、三神・三部の伝(即ち是、天思兼命は霊宗伝、天物梁命は宗源伝、天太玉命は斉元伝なり)、天孫(亜肖気〈ににぎの〉神を称す)降臨し、日祚(あまつひつぎ)璽(かんみしるし)を授け、元武神(武霊雷神〈たけみかづちのかみ〉・振威主神〈ふつぬしのかみ〉)は祇(くにつかみ)を降し、祇は天(あまつかみ)に伏するの由を明かす。(『神代皇代大成経序』)

地祇本紀(第十一・十二巻)

倫数相生・独数相剋の算、西を開(ひら)き、毒を撃ち、底を折(ひら)き、邪を伏す威(いきほひ)と、朝(みかど)を開き怨を征ち、木・金の益を作す物と、國を築き、園を開き、字を造り、薬を作る製(ものづくり)を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(服狭雄尊〈すさのをのみこと〉、新韓国・大韓国・天竺の国を開き、龍蛇・虎狼を促(かり)追ひ、斬り殺し、木の種・金の宝を播き生へ玉ふ。又、大已貴大神、国を築き、園を開き玉ふ等のこと詳かにこの紀にあり。『大成経来由』)
皇孫本紀(第十三・十四巻)

天に隨ひ、理に因て、欲無く正しき誠の忠は功に隨ひ、臣を使ふに、徳を美(ほ)め、禄を賞するの恩を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(天の隠山神の孫十七代の諸公の賢功と、甘真道〈うましまち〉の神の孫十四代の諸公の賢功・公事を記す。是を尾治〈おはり〉家・物部家と云ふ。『大成経来由』)

天孫本紀(第十五・六巻)

天神の氣を嗣ぐ日胤、國に王たる命、悪を作さば福を変じ、独りの罪に衆の殃ひを報け、軍を発し、夷を征ち、武略の國を治るの計りごと、正業誠功には天(あまつかみ)軍力の介(たすけ)を加えたまふことを明かす。(『神代皇代大成経序』)

(星亜肖気〈ほのににぎの〉大神、この国に天降り玉の正事、並に火火出見〈ほほでみ〉大神、彦波剱武〈ひこなぎさたけ〉大神の正事を記す。『大成経来由』)
神皇本紀(第十七〜二十二巻)

皇極の即位、都を立て、天徳を治め、宗宮の祭祀、祝言・祓文の事と、禮を立て、民を治め、法を下し、貢を調る儀と、九(神武天皇より開化天皇までの九代)と両(崇神天皇・垂仁天皇の二代)と、四(景行天皇・成務天皇・仲哀天皇・神功皇后の四代)の三つの政の有無の状、異國の神軍、異王朝貢すと、我が國を護持(まもり)て異國を征つの霊伏の勢を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(人皇第一代神武天皇より第十五代神功天皇に至るまでの事を記す。初は皆、神武の功を挙げて云ふなり。『大成経来由』)
天皇本紀(第二十三〜二十八巻)

徳に住り位に居て四夷自から朝化し、治めず制せずして自から太平を致す、位信にして天下を譲り、己を亡(す)て道を存(なが)く悌(したが)ひて、貢(みつぎもの)を赦し、役(えき)を赦し、善く六合を潤すの恵み、仁恕正政の國を饒し、黎(たみ)を養ふの澤と、賢しき王は善き鑑、悪き王は悪の鑑なる様を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(第十六代応神天皇より第二十七代武烈帝まで、すべて十二代の事を記す。末代の明鑑なる事跡誠に多し。『大成経来由』)

帝皇本紀(巻二十九〜三十四巻)

善法の興行、國徳増益の利、先跡を記録し、善を勧め、悪を懲らすの教え、秦字を倭訓(やまとよみ)し、経(のり)に通(かよは)し、学を得るの効(ならひ)、神道を興立(おこ)し、理道(ことはりのみち)事祭(わざまつり)の習ひと、儒を学び、釋を効(なら)ひ、他(ひと)を道(をさ)め、自を助くるの学び、階を立て、禮を定め、正道大成の節と、天の瑞、徳を修め、民を養ひ、病を療するの政を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(第二十八代継体天皇より第三十五代推古天皇までの事を記す。大道ここに興る。『大成経来由』)
聖皇本紀(第三十五〜三十八巻)

眞人(かんひじり)・聖人(まひじり)の明かに行なひ、明かに治むるの蹟を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(上宮太子一代の眞跡なり。世に流布する所の太子伝の如くには非ず。甚だ以て鮮明なり。『大成経来由』)


経教本紀(第三十九〜四十四巻)

一心、無為、五心、天命の道と、宗源の総道は吾と異と一に通ずるの地、斉元の別道は吾國独り勝れたるの旨、霊宗は道の本心を合せて心を明らかにするの趣・習はせを学び、極を要(もと)め、善を讃え、悪を誹るの名、菟道寓(うぢよせごと)を嫌ひ、王仁が寓解(みせとき)の差(たが)ひを明かす。(『神代皇代大成経序』)

(この本紀は、神道の学に入るの門なり。『神教経』・『宗徳経』に於て大道の要路を知り、『神文伝』に吾國の音を明かし、『三章』・『三極』には玄理を記し、『王仁邪解』・『菟道の訓』と『天皇・諸王・諸臣の謚』を明かす。『大成経来由』)







祝言本紀(第四十五巻)

罪を祓ひ、禍を消し、神に事(つか)へ、身を浄めるの呪を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(この祝言は、神武天皇と天の隠山の大神と美眞道の大神と天の種子神人、豊天富の神人と倶に議りて、先天の旧事、今天の有事に合せて章句を製し、これを豊天富と天種子の二人の神人に給ひ、祭祀及び祓解の法則とす。帝と二神と二命との編と云へども、七(代)五(代)の時の神言なり。『大成経来由』)







天政本紀(第四十六巻)

曜宿の旋会、枝幹の合行く の制、方を司るの神鬼、日と時と官領(つかさどる)の掟を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(方と日と時との吉凶を知るの記なり。『大成経来由』)

太占本紀(第四十七巻〜四十八巻)

天理の吉凶、天命に心を治むるの境を明かす。(『神代皇代大成経序』)

(占卜の書なり、四句の頌五百十二篇なり。『大成経来由』)

この『太占本紀』に就いて、依田貞鎮翁は『序之戔神字書』に於いて「師伝に今、太占本紀占綱の下に附ける占辞は、これ後人の附會せるなり。何れの世、何れの人の所為といふことを知らずとなり。太占本紀闕本と見ゆ、惜しい哉」と記されて居る。

何れの日にか、この正本の出づることを願うのみである。或いは、ヲシテ文献の『フトマニ』と何らかの関連があるのかも知れない。

暦道本紀(第四十九巻〜五十二巻)

季節・年事・日事の用を作すの路(みち)、天の先・天の後・元に帰す道を致すの限りを明す。(『神代皇代大成経序』)

(暦法は時に従ふと言へども、大意万代を貫通する者なり。『大成経来由』)

医綱本紀(第五十三巻〜五十六巻)

臓腑の平変・医と灸と針と呪との方を明す。(『神代皇代大成経序』)

(委しき科は異国の書に譲り玉へり。只、医科・医行・国科・年科等の異を挙げ玉ふ。『大成経来由』)

経来由」)
禮綱本紀(第五十七〜六十巻)

神皇の古儀・異聖合用の綱を明す。(『神代皇代大成経序』)

(吾が国の禮の本・神儀・天儀・皇儀・臣儀、並びに年事・変事・政事・賞罰・嫁娶・産誕・死葬・服忌の精密なるなり。『大成経来由』)
詠歌本紀(第六十一巻〜六十二巻)

風雅・和情・寄諌・感復の術を明す。(『神代皇代大成経序』)

(詠歌の学と正歌・譬歌・祝歌・呪歌等の義を託す。『大成経来由』)

国歌『君が代』もここから出て居る。

御語本紀(第六十三巻〜六十六巻)

天道の成為の本と心学と性学と先皇の聖蹟の訓へを目す。(『神代皇代大成経序』)

(聖皇、万機に臨んで事に託し、問いに応じて語(みこと)あり。編して四冊・二十篇となる。先皇の辯より、学問と修身と修心と覆悪・成善・仁義・為徳・無為・無我・天道・極道・道気・写跡・致理・行事・人質・人品・経史・聖皇までなり。

この紀、雑論無く、純(すべ)て人倫・日用の事なり。誠に以てこれは是、三国無比の至論なり。皇天の理を専らにするに非ず。世尊の説の法、老子の関教、孔丘の述誨の類に同じからず。これを学ぶ者大いに益あり。孟子の発明、諸子の集録等にも亦同じからず。最も貴ぶべき者なり。『大成経来由』)

軍旅本紀(第六十七巻〜六十八巻)

大道と権謀との智と気と運と天との略(はかりごと)を明す。(『神代皇代大成経序』)

(天文・地理・人芸・物用・一道・理一・軍宗・五綱・行征・謀計・得死・得勇・得人・得忍・強弱・盛衰・陣方・戦法・乗気・元運の二十篇あり。この紀は大連(おほむらじ)守屋逆叛して城に籠る時、官軍利を失ふ。皇太子(聖徳太子)、この書を製して秦(はた)の連(むらじ)河勝に与へ玉ふ。又是れ、異国未談の吾が国の兵書なり。『大成経来由』)
千歳本紀(第六十九巻)

限りあり、変あり、盛衰悔いなきの際を明す。(『神代皇代大成経序』)

(推古帝三十年壬午より後水尾帝元和七年辛酉に至るまで一千年の間、天下の大事・治乱正怪、悉に詳かにこれを記す。文章幽冥にして預て解すべからず。亦、故ヘ有るべし。今に至って事を配して差(たがわ)ざるを信ず。

昔し (推古)天皇、鎌子(中臣鎌足)に問ひ玉ふ。「今に此の文を見るに一事と言へども其の象を知ることなし。然れば即ち、此の文これを置く、何の益ぞ。」と。

鎌子、慎しみて答へ言ふす。「或いは聖人現れて能く解すべきことを知らば、能く憂ひの因を解すべし。又、賢人出て解すべからざるを知る時は、憂ひの果を悔ひざるべし。その解することを得るものは、これ万姓を安んじ、その悔ひざる者は一心を安ずるなり。然れば益なきに非ず。たと益なしとするも猶を日月の触の如き、これ天歴の実を見すなり。眞人(聖徳太子)、後年を記して虚妄に非ざるを以て、今日を教ふることの空言に非ざるを知る。或いは才人の言語理を以て然るべ゛きことありとも、その跡を得ず。又、眞人の記句はその跡を得るなり。その然るべくして跡なきは是れ美言の空言なり。この信じ難くして跡あるは是れ空言の誠言なり。眞智の人は信じ難きを悪(にく)まず、専ら誠言を取る。世人頗るこの二つの間に迷って風俗を作して、その百学を空しふす。徒に労して功なし。神記益なきに非ず。聖言疑ふべからず。必ず、中(あた)ることあるべし」と言ふ。

 天皇讃して曰く。「汝は少年の才、百歳の智に長(まさ)れり、汝はこれ聖か」と。

 天皇、昼夜にこれを視て秦の大連に告げて曰く。「この文、甚だ妙なり、事は千歳を記して、教へは万年に及ぶ。君、臣を嫉む時は災いあり。臣、君を侵す時は亡ぶ。太平ここにあり。五百年にして益なし。千歳にして利あり。これ我国の至宝なり。皇政の元極なり。云々」と。『大成経来由』)

憲法本紀(第七十巻)

人倫は和睦し、人世の日用の常と、皇政の正政、国家治平の要と、神道の玄微は儒・釋に混ぜざるの禁と、先儒と後儒と、日(やまと)辰(から)と同異との科(しな)、釋宗の大乗・小乗の用ゆべきと用ゆべからざるとの品を明す。(『神代皇代大成経序』)

( 天皇十二年に聖皇奏して肇めて憲法十七條を製してこれを献り玉ふ。これを通蒙憲法と言ふ。 天皇大いに悦びて重ねて詔して曰く。「大王の憲法善く盡せり。然れども法は精密なるにしくことなし。願はくは諸家の為に分ち断り以て相当るの制軌を布(し)き玉へ」と。

聖皇、詔を奉じて尋ねて四家の憲法を製して永世の警となし玉ふ。いわゆる政家の憲法、儒士の憲法、神職の憲法、釋氏の憲法、これなり。上に合せて五憲法なり。

 天皇、詔して曰く。「たとひ時遷り機改まる末の世と言へども、この文に背ひて異法を傭(い)るること莫(な)かれ。然らば則ち、国家豊恭・社稷永久ならん。或いは、高慢を以て新たに異則を立てて以て政をなす時は、其の世、穏饒ならず、社稷必ず永からず」となり。『大成経来由』)


神社本紀(第七十一巻)

宗宮の鎮座、社稷の祭祀の場と、方社の分野と、国社・縣社の起りを明す。(『神代皇代大成経序』)

(伊勢の国・山田の宮・豊受大神・今、外宮と云ふ。宇治の宮・亜肖氣尊(ニニギノミコト)・今、内宮と云ふ。。礒部の五十の宮・天照皇太神・今、伊雑宮と書す。志摩の国の内となる此の三宮を宗宮と云ふなり。四方各七宿の二十八宿に配し鎮座の神社あり。上古よりこれを祭る、我が神国の遺事なり。異国は但、分野のみを説くと異なり、これを方社の分野と云ふ。未分の国の代を縣社と云ふ。。已分の国の時を国社と云ふ。凡そ諸国の大社・舊社、皆その縁由を明にす。『大成経来由』)

国造本紀(第七十二巻)

大功有るを以て永く賞し、国を守りて忠義に止ることを明す。(『神代皇代大成経序』)

(神武天皇、天下を治平し玉ひ、皇極を立て、橿原に都して天皇の位に即き、その功能を褒めて国造を賜ふ。それより後、代々功有るを賞し、国造を賜ふ。推古の朝には内国百四十四国、外国東に三国、西に四国、合して百五十一国なり。今各々その国造の名と事とを記すなり。『大成経来由』)
『先代旧事本紀大成経』雑部目録

(第三十九巻より七十二巻の目録)


已上の諸紀は各々種極を存して束ねて皇法の一極となすのみ。この紀は是れ家録を集めて始めて天下の大録とし、並びに聖の製し玉ふ著述を寄せて編に納れて以て貫線(ほねふみ)とす。又、章下に伝あり。或は章の意の如く、或は句の理を取り、或は己にツひ任せ、或は転じて文を作して伝をなす。


皇太子の伝には、上に是の字を設け、是の字なき者は是れ古伝のみ。今、聖の伝に依って経の理を定むるなり。昔日の録者は意に随ってこれを釈する故、三人釈せば、則ち一つの文に三つの義を生じ、争論弁佞してその本つ意を知らず、その徒又、師に偏頗して紛々として闘ひを起こし溢れて、而も乱をなす。故に録還って以て失有って得ること無し。今、是伝定むれば、録に得ること有って失有るなし。

神道・皇道、悉に尽くして余り無し。唯此の経のみ正真にして他の文は真に非ず。 天皇の一寳・天下の一命なり。

至れる哉、大王の徳、万代不易の師なり。上世皇天、坐ますと雖も、当世大王(聖徳太子)いまさざらば、何その度(はか)りを明らめて、以て後世に伝へんや。

大なる哉。太神の託に曰く「古天(さきつあめ)の皇天(ををみかど)、新天(のちつあめ)の大王(おほきみ)」とのたまふ。

誠なる哉。我が大王は是れ新天なり。明智・徳行、天開けてこれに比(なら)ぶことなし。天終るとも又有らじ。冀(ねが)わくは、後来の天皇 並びに群臣、この経を以て仰ぐこと日月の如く、信ぜざる所なく、疑ひを加ふる所なくして、神代の大道を以て軌則の本となし、皇代の善悪を以て懲(こらし)勧(すすむる)の鑑とし、大王の教へを以て修行の指南とし、邪(よこしま)なる誨(おしへ)に従はず、宜しくこの経の皇天の道を学ぶべきなり。

仍(よっ)て以て遂に神尊の託宣に托任(なげまかせ)て、これを五十鈴宮(いそのすずのみや・礒部五十宮)と大三輪宮(大和国に在り)及び四天王寺(摂津の国に有り)とに祕(かく)し、これを宮中の日月として、而も窮まりなき世を照らさんと欲(おほ)し玉ふ所以なり。(『神代皇代大成経序』)



以上、『神代皇代大成経序』及び『大成経来由』をもとにその概要を紹介したが、先ずはこの書を読んで見ることであると思う。

『先代舊事本紀解読』全九巻を著された須藤大幹氏は「我等はこの神代皇代大成経、先代舊事本紀を以て、その真偽を問うべきではない。先ず読んでみるべきである。総てを読み尽くさずして、その真偽を云々する資格はあるまじといえる。若し、これが大著をもって、偽書なりと言う人あらば何を以てか、如何なる理由のありてかを謂わずばなるまい。筆者は、書物は読むだけでは、文字を眼で追うただけでは、その内容を確りと認識することは出来ぬ。自らも又、書いて見れば、筆意が吸収できると確信する。故に、二十年前、解読分を認め始めて以来、急がず慌てずペンを進めた。然して、神代皇代大成経、即ち、先代舊事本紀は、皇天神と申し上る天照大御神の神魂が、聖皇と称へられし聖徳太子に憑らせ給て成る神典であり、神書であることを確信した。」と記されて居られる。


又、名著『聖徳太子』を著された白石重氏も「筆者は『大成経』の那辺にも仏臭を嗅ぐことが出来ない。゛からごころ"を感受することも出来ない。宣長亜流の人々は仕切に仏意、漢意に執着して『大成経』を排撃し、却ってわが神道の霊異を傷うに至ったが、彼等ほどの学殖を積み重ねたるものにして、斯くの如き皮相の観察をしたのは、唯々驚くの外ない。加之、この『大成経』を偽書ときめつけたりして、わが国精神文明の顕揚を阻害したことは、誠に言語道断といわねばならぬ。  (中略) 

何ぞ知らん、『大成経』は徹頭徹尾、わが神国の真姿を説き、その方法論として易や法華の理想、精神を活用したものの、単に日祚を尊び、その擁護を語るのみならず、実に東洋哲学の深奥にメスを加え、世界人類の向うべき、羅針盤というべき大著であって、聖徳太子の霊奇神秘な大哲学が脈々として躍動しているのである。

この大著に依ってわが神道を明徴し、支那の儒道、印度の仏教も始めて光輝を発するのである。太子の真骨頂を仰ぎ見るの明識なくして、徒らに太子の鴻業を抹殺せんとした徒党は、正に独りわが日本の悪人たるばかりでなく、東亜諸国の衆庶の安寧幸福を阻んだ兇悪人であるというも過言ではあるまい。

試みに太子の像を見よ。仏僧臭き姿のもの、儒者好みのもの、果たしていずこにあろうか。太子の仰せを拝して秦河勝が創建した京都蜂岡寺(広隆寺)に安置される尊像は御歳三十三歳のころの御自作と伝えるが、衣冠は神道の様式、右手に儒教の笏を持ち、左手に仏教の香爐を持ち、明かに神・儒・仏三法の表徴を顕示されるのである。

『大成経』は、単にわが日本史上の輝しき文献ではない。世界史的意義を持つ不朽の大宝塔と称すべきだ。」と喝破されて居るが、誠にその通りであると同感する。


『先代舊事本紀大成経』には、珠玉の名言が数多く祕められて居る。

これを偽書の一言で抹殺し、埋没させてしまって良いのだろうか。否である。

これらの金言は、魂の奥深くに響いて来る。

この感性こそ、日本人の日本人たる由縁であろう。

この感性を封印し、偽書とした先人達は、その魂の如何を疑われざるを得ないと思う。

今の時代、この『先代舊事本紀大成経(神代皇代大成経)』を改めて見直すべき時なのではないだろうか。



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