脩 禊 の 辞 ( 昭和16年 ) 


 大道行はれざれば荊棘生ず。

 人類世界の現状は如何に。

 相互に對立せりと思へる人類は、相互に牆壁を造り、國境を築き、各人各自に、各國相互に、牆壁の間に跼蹐し、境界の内に繋縛せられて、内外
融會の活路を失ひ、自他同歸の大道を知らず、天地一貫の神界を忘れて、紛亂闘争を演出しつつあるなり。

 然れども、統一無き人類世界も、遂には統一せざれば止まず。

 對立し排撃しつつある個人も國家も、遂には原始反終せざること能はず。

 人天萬類は生滅起伏の波に漂ひ、國土山河も成壊出没の流れに漾ふ。

 風波擾亂の荒天も、寂莫陰沈の闇夜も、何時かは清明の満月を仰ぎ、復び朝陽の赫灼たるを拜す。

 之れを聞く。

 太古素樸の人類は、神と共に住み、神と共に思ひ、神と共に語り、神と共に行ひつつありしが故に、和樂にして苦惱を知らず、太平にして擾亂を聞かず、上下内外一團の神界を築き得たりしなりと。

 是の如きは則、日本國體にして、天皇統治の神國なるなり、樂園なるなり。 

 荊棘を剪除し、妖雰を掃滅して、神國樂園を築成するは、畏くも

 日本天皇治國の大道にして、人類統率の神業なりと拜承す。

 此の故に、彼等世界人類は、専念一意此の神業を仰ぎまつり、此の大道を讃へまつりて、大稜威稜威の中に、安養常樂の皇恩を感謝し奉るべきなり。

                                               我が徒同人

 此の理を明にし、世界人類をして、均しく、此の大道を仰がしめんと念願すること年久し。

 されど、機熟せず、時到らず。

 且又、民間には其の人乏しく、徒に九重雲深きを嘆くの憾みのみ多かりき。

 然るに、幸なるかな。

 明治天皇の大御代にして、神人・大神斐岐(おほがのひき)の神傳に依り、宇麻斯摩遅命(うましまぢのみこと)の神事を傳承したる偉人・川面凡兒先生の出づるあり。

 日本民族の宇宙觀に依りて、日本國體觀を明にし、日本國體觀は、直に全人類世界觀なることを知らしめ、統一無き世界人類は、統一を求めて止まざるものなれば、全人類は擧って、世界唯一無二の

 日本天皇を、全人類世界の 大天皇として仰ぎ奉らんと、密に切望すること、飢ゑたるものの食を求むるよりも急なるべきを洞察し、全神教趣大日本世界教を唱道し、惟神の神業を讃仰し、全人類をして、統一し歸結するところを知らしめ、各國各民族をして、一圓光裡に神國樂園を築き、共に與に太平和樂を謳歌すべき標識基準を指示せられたるなり。

 これ是の標識基準は、各國各民族が、日神(ひのかみ)と讃へまつりしところにして、日本民族は、後世に到りて之れを惟神と称したり。

 之れは是、人天萬類の發展し歸結する大道にして、發きては大宇大宙となり、結びては萬類萬物と成る。

 此の神業を、神代の神は祓禊(みそぎ)と教へて、神界現成の御行事なりと拜承す。

 大道行はれざれば荊棘生ず。

 世界人類は、遂に危惧煩悶一日も安からざるの非常時を招致したり。

 まことに、迷雲を掃ひ妖雰を除くは、惟神の教ふるところなれば、世界人類は、神代の神に神習ひて、上下内外一團としての祓禊を専脩せざるべからず。 否、今は唯、此の禊事を脩するの外に、内外自他を靖寧和平ならしむるの方途有ること無し。

 然れども、脩禊は神事なり。

 神傳其の身に存るの指導者を得るにあらざれば、亦遂に、俗間流行の宗教的兒戯に類せんのみ。

 又甚之れを憂慮す。

 不世出の大偉人・川面凡兒先生神去りまして既に十有三年。

 其の遺弟一萬と称す。

 されど、此の大道の一角片鱗を傳へ得たるものすら、寥寥として甚稀なり。 悲しきかな。

 世態人情輕浮雜糅にして、神事をすら遊戯視するの不敬漢世を擧げて滔滔たり。

 噫。

 神人出でよ。

 純忠至誠の眞人出でよ。

 茲に、其の人を得んことを願悃希求して、全世界人類の脩禊を促し、特に今、大亜細亜、別して満蒙の野に之れを叫ぶ。


 昭和十六年六月一日

 康徳 八年六月朔日                        

                                              多田雄三山谷 謹識