大人物を作るには
                                                                                                                  多 田 雄 三 山 谷

 國は亡び、民人は流離して、神子天孫も蛮賊の蹂躙するところとなり果てた。
 之れでは困る、之れでは困るどうか大人物が出て、救世主が出て、此の國を此の人人を安泰にしてくれねばならぬと、誰も彼も一心専念に願悃希求して止まなかった時に、猶太の國は基督を得た。
 周の政治は紊れ、國力は衰へ先王の大道は行はれず、諸侯は擅恣にして朝せず、衆庶安堵せず堯 を渇仰して止まざる時、漢民族は孔夫子を得た。
 外道邪説の紛々として過去七佛の傳燈滅せんとし、人天之れを悲しむの切なるに至りて印度の聖地は釈尊の生誕を得た。
 遠く例を他國古代にとるまでもなく、日本天皇の大道を臣下
の分際として横議し、其の大権を私するの不祥、年久しきを慨嘆するの聲、切なるに及んで東海の神域には、明治天皇御誕生遊ばされたのである。
 之れは作りたるにあらずやと思ふやも知れず。
 然り。
 或る一二の作るところにあらざることもとよりなり。
 然れども、各箇人が各箇人に自己を認むるが如く、國土山河も日月星辰も、各々それ自体としての自我有り主観有ることは事新しく申までも無く、之れを各國の古典が傳へ来り、殊に日本の古典には如何にして人天萬類の生滅起伏するかを詳細に記して、霊念思考(ココロ)の結晶が人であり、物であり、勿論宇宙であることを教へ、其のココロの結晶奈何が大小長短厚狭高卑の萬類萬物と発現することを示され候。
 之れによりて大人物も純忠至誠の大御寳も霊念思考の結晶状態の正整純美なるものなると共に、鄙吝劣悪なる乱臣賊子も霊念思考の怪奇醜陋なる結合物なるが爲なるにほかならざることを信ずるものに候。
 従って、大人物は群衆を合せたる霊念思考にほかならず、其の群衆魂の集散離合は、五感的に認めては主権者の主るところ(日本國としては天皇陛下のしらし給ひ)、五感的機能を超えていへば神の治らすところ(日本民族は天照大御神の御心の麻邇麻邇なりと教へ来り)、人も物も萬有も神の麻邇麻邇神ながら、別れては合ひ、合ひては別れつつ千態萬様の形態色相聾音作業を現ずる次第に候。
 故に、大衆一心に念ずるものは、大なる結晶を成して大人物大事業と成ること、孔子の如く基督の如く、釈迦の如くなりと承り候。
 然れども、之れは作りたるにあらずして生れるなりと人は云ふなるべし。
 然り。
 生れたるなり。
 それ自体より云へば生れたるなり。
 而して其の大衆とは犠牲にほかならず。
 死を以って之れを念ずる時、此の念は更に多くの群衆魂を集めて化生し来る。
 其の主動者は根本魂にして、又主権者にして爾餘は霊念思考なると共に、また忠臣義人にして、聖世を築き楽土と成すものに候。
 此の神事を天沼矛(アマノヌホコ)の神傳として諾冊二神の天津神より受けさせられて  日本天皇に授け給へるなりと拝承仕候。
 すなはち生死を一貫して國土を経綸せさせ給ふ神祕に候。
 此の故に大嘗祭有り、同床倶殿・報本反始の祭祀有り、イキシニホの祕事有り、穂の傳へ有り。
 此の祭事を奉ずる時は國安く家栄え、身健にして六親和楽するものに候。
 此の神事祕儀を遺忘失念したらんには、今日の帝王も明日幽囚の悲境に沈淪すること、東西古今の歴史に其の例多く候。
 日本帝国に生を受けたるものの幸慶第一は、日本天皇の三種神器の祕儀蜜傳として、天沼矛の神事を捧持せさせ給ふことの千古易らせ給ふこと無しと拝承することに候。
 あなかしこ。
 萬民安んじて生業を励みつつ専念一意、皇祖皇宗乃祖乃宗を通じて天津神國津神の神業を仰ぎまつるべきことと存上候。
 之れは民人としての生等が信念に候。
 然れども、國家の実際を見る時は、其の機構が複雑なる如く官人吏員の多数者によりて、上下一団の神國たる事実を曲歪せらるることの甚しきを目賭し、覚へず草奔の身を忘れて大官をも叱咤するに至り候。     

図示するが如きもの在り。
 點の集合であり、線の連続であり、面の展開であるが、其の一點一線一角一面を構成するものは、民人で官吏で公吏で乃至國土で気流で山川草木で、その上に日月星辰で、天地で、在るかぎりである。
 あるかぎりが各自各自の位置に在りて、其の位置を完全なる正整なる善美なるものと築き成しつつある時、如是の形態のままに如如の妙用を現ずるので、デコボコの頭はデコボコとしての位置に、圓頂妙相の聖者は圓頂妙相の位置に各自各自の活用を現ずるのであるが、その然らざること現在社会の如きは魔界牢獄の醜態惨状である。
 之れを救済せんが爲に、日夕寝食をも忘れて御盡体被遊候高風欣羨にたへざる次第に候。
 仰せの如き永遠の皇國建設の爲、生れながらに素質のあるものの選抜至極御同感に有之候。
頭形の示す天分も勿論、或は左掌を開いて全人格を知るべく時に、臍を見て過今来を知るべく、乃至一本の指頭にも其の全天分を示せりと申候へども、時として例外のもの有りて必しも一定不変の形貌を捕捉すること難く候。
 嘗て、余の知人に、頻に骨相学を以って入学試験官の必修科目となさざるべからずと論じ、大杉栄なる人を士官学校に入学させたる試験官=試験制度の不備を鳴したるもの候ひしがまことに一理もっともと存候。
 唯、運用の困難はまぬがれざるべく候。
 初等教育よりして特殊の牆壁にて圍み来りし華族教育の成績が、果して華族を玉成したるや否を知らず候へども、如此ものも世に存ることを今、率然として思ひ出し候。
 頭相も手相も全身相も音聲相も乃至其の人々の発する外光相も其の人々を知るには勿論大切なる資料に候が、殊に、幼児を相するに其の身魂の色相を見るは最適確に其の素質を認め得る方途に候。
 学科も之れを通じて明瞭にその人格を知り得べく、時に小生多年指導し来りしミソギに於ける発聲・振魂の行事を通じて見る時は、容易に各人の性能素質を認め得て面白く候。
 ミソギは如斯、行事を課しつつ其の性癖長短等を知りて指針を授くるものに候と共に、天分豊なるものをば特に選抜して特別に行事を課し、神傳を得せしめんとするものに候。
 明治以来の教育は不幸にしてかかるところの行なるもの無し。
 なほ幾多の欠點は有るべけれども、此の點を特に甚しき欠點なりと小生は断言致すものに有之候。
 之れを古老に聞きたるが漢籍の素読は音聲に依りて師資相承の行をなし得たるものの由、まことに不幸にして近時の学校教育は全々師資授受の道無し。
 口頭にヘリクツを弄するは子弟の末技のみ。
 子弟の道。子弟の道。
 此の道滅びて年既に久し。
 恐多くして記すべきにあらざるに似たれども、知人某教諭は慨嘆して云へり。
 教育に関する御勅語。
 師弟の道を御示しあるを拝しまつること能はずと。
 人、眞人の作られざること久し。
 父母は子女を教ふる道を知らず、教師は子弟を教へんとせず、皆共にあまりに小我に縛せられたるが為に一貫共通の  心(マコト)を失へるなり。
 故に余はミソギ指導の第一着手として提示す (一)人我の見を捨てよ(ワガミワガココロヲワスルルコト)と。
 而て之れを導くに神儀行事を以てするものに候。
 唯僅に此の一語なれども、之れを身に得たる暁には昭昭琅琅として経に時間を超え、緯に空間を忘れて、盡十方過今来一圓光明の@なることを證し、一文不知の匹夫匹婦なりとも天音神典を唱へ出すの妙境を得るものに候。
 然も、人間各自には天分あるあり。等しく体得して各自に其の天分を発揮す。
 紅紫黄緑色とりどりに梅松桜樹の趣致さまざまに、蘭菊百花の芳香を競ふが如き妙用を現ずるものに候。
 此の境に到る時、各人各自は各人各自に自己を知る、各人各自に自己を識るが故に他の制裁を受けず、他の容喙を待たず、分を越えず、天与の領域を逸脱することなきものに有之候。
 天分を知る。
 天与の天分を知るが故に、おのづから安心立命を得て他を犯すこと無く、自己を失ふこともなし。
 大小長短広狭高卑の差別有る中に、一貫不易の大道を体して光風清月、生死の中に生死を忘れて神業を建て得るものなりと承り候。
 ささかにの くものいよりもほそければ きづかざりけり道の綾糸。

以上 昭和十五年十「月十四日夜半。

 日本古典は神人産出の祕儀を伝ふること詳細にして委曲を盡し居候故に、小生は古典研究に着手し、之れを講説しつつ、其の神儀行事を修するならば凡愚の身も神助を得て世を益し、人を導くの徳を得るものなることを確信致すものに候。
 先般申上候如く、小生は神人を賢台の仰せらるる大人物と思ふものに候が、此の神人産出の祕儀とは諾冊二神の天沼矛の神儀行事にして、天照大御神の宇気比にして、彦火火出見尊の海津見神事にして、神吾田鹿葦津比賣(カミアガタカアシツヒメ)の無戸室(ウツムロ)の祕事にして、その要を摘みて申候へば邪悪醜陋の魔群を集めて之れを済度し、救出して、正誠正義の皇軍を編成するもの、換言すれば、六尺の小躯を以って過今来を一貰したる大道を人天萬類に指示し、六道を救済して天国楽園を築く神人と成るの義に候。
 此の神事の第一歩は、神名を知ることに候。
 神名とは、神の宣ふところにして人の名づけたるにあらず。  
 之れを神言霊(カミノコトタマ)と申候。
 此の神言霊を知りて之れを奉称するは、白己を神化すると共に、親類縁者をはじめ、住居四辺よりして天地萬有を化育する易行道に候。
 其の功積りては、此の土此のまま高天原と成るべく、此の身此のまま神の人と成るべしと承り候。
 なほ足らずと思はば、上地財貨よりはじめて、住宅・服飾・親類・妻子までをも離れ去り、全々裸一貫となりし上、海水に投じて神言霊と一体たることを證すべきなり。
 之れは、伊邪那岐命の教へたまへる小門の禊にして、古事記の伝、最委しく候。
 又、其の結果を示して三貴子を得たまふと有之候。
 天上天下之れ以上の大人物は 無之候。
 古典は如此にして大人物をつくるべき道を教へ来り候。
 然るに不幸、日本民族、此の伝を失ひて年久しく、外夷の邪説に迷ひて壬申の不祥事、妖僧の不逞事をはじめ、千有余年、国風泯滅せんとするかと悲嘆せしむるに、至り候もの、我等、幸にして明治天皇鴻業の日に生をうけ、人間歴史の経緯を窺ひまつることを得候。
 希くば、純忠至誠の神人を得て太平嘉悦の人類世界を築成し奉らんことを。