ミソギクスロ


【 概要 】

ミソギクスロとは、支那の気功や印度のヨガなどと同じく、人間が人間として最高に生きる為の行法で、日本に古来から伝承される養生法・治病法・強健法・煉丹法のことを言う。

クスロと言う言葉は、クスリ(薬)と同じく、奇しびなる妙用を発揮する方法と言う古語で、健康長寿・不老不死の為に、飲んだり身につけたりするものをクスリ、行法として行なうものをクスロと言う。

その内容は、

ヒ、導引(主に身体を操作して正体に戻す方法)
フ、氣吹(息の操作により生命エネルギーを高める方法)
ミ、内観(心の操作により精神の安定と集中力を高める方法)
ヨ、言霊(神言により自己に内在する神性を覚醒する)
イ、食養(正しい食事の方法により心身の調和を図る方法)

となって居る。

『先代旧事本紀』の第十五巻『天孫本紀・上』に、火火出見尊の皇子・新国起命が神業の穢きを見て、伯父・火折命に「今の世の者、神業の善からじ、吾は偏えに伯父命の業を庶(こ)ひ幾(ねが)ふものなり」と問うたところ、伯父・火折命は次の如く答えたとある。

「乃(いまし)、実(まこと)に吾が事(わざこと)を願はば、先に意欲(もとめごころ)を(す)て、心を推(おさ)へて無意(すがしき)に安(お)き、天気(あまついき)の中に無作(なさざる)の気(いき)の有るを呑み、身を押さへて無事(さやか)に置き、地(くに)の気(いき)の中に無味(きよらけ)き気(いき)の有るを咽(の)みて身と心を堅くし、天矩(あまつはかり)の陰陽(めを)の易(かはる)を解(はか)り取(さと)りて、心に習ひ、身に習ひ、諸(かく)の如く之れを習ひて、以て、遂には彼の憲(のり)の境(はて)に到りて、陰陽(めを)を離れ、陰陽(めを)を領(さとら)ば、是れ吾が道なり。下(くだ)りて世(みよ)に入(はいら)ば世(みよ)を助け、上(のぼ)りて天(あめ)に在(いたら)ば天(あめ)を道(みちび)く。」

そこで、新国起命は、この高き法(のり)を修めて、遂に天祖(あめのみおや)の處(みもと)に之(ゆ)きたまうまでとなり、時(おりおり)に降りては庶神(もろかみ)に誨(おし)へられたと記されて居る。

そして「是れ、仙道(やまひじり)の術(のり)の人の世に伝はる其の法(のり)の元(はじめ)なり。」と説いて、仙道の淵源はここにあると記されて居る。

上記第一の「意欲(もとめごころ)を(す)て、心を推(おさ)へて無意(すがしき)に安(お)き」とは「安処制感」の行であり、第二の「天気(あまついき)の中に無作(なさざる)の気(いき)の有るを呑み」とは「氣吹」の行であり、第三の「身を押さへて無事(さやか)に置き」とは「導引」の行であり、「地(くに)の気(いき)の中に無味(きよらけ)き気(いき)の有るを咽(の)みて、身と心を堅くし」とは「食養」の行であり、第四の「天矩(あまつはかり)の陰陽(めを)の易(かはる)を解(はか)り取(さと)りて」とは「内観」の行であることが判る。

そして、是を淵源として伝えられるものが、ミソギクスロなのである。


【 ミソギとクスロ 】

みそぎの行法を行なうには先ず、健全且つ清らかな心身を必要とする。
その為に設けられたのがこのミソギクスロである。

神代の昔、人々は皆、穢れを知らぬ清人(すがひと)であったので、自ずと心身共に健康で、その生活も神と共に生き、神と共に語ると言う自然の摂理に則った暮らしであったが、時代が下るにつれ、人間的な自己拡大・自己防衛の個我意識が発達し、又、食物摂取の誤りを犯すようになって心身の穢れが生じ、穢人(けがひと)が増えてきたので、これを先ず浄化することの必要から、本格的なみそぎ行に入る前の準備行として〔ミソギクスロ〕と言う養生法が伝えられるようになったのである。

これは先ず、人体の芯である背骨を自然な状態に保ち正体を築くことを基本となる。

それには、立位・座位・臥位に限らず、常に法に則った正しい姿勢を身につけることが要求される。

又、「全きを求むれば声に有り」と言う言葉が有るように、どんな人でも声が清亮でない人は、一時成功したかに見えても、有終の美を収め難いと言われ、清く澄んだ潤いのある声の良い人は、その身魂の美しさによるものであり、円満な人生を送ることが出来ると言われる如く、声の質を良相に改善することを要求されるのである。

その為に用意されたのが、上述の導引・氣吹・内観・言霊・食養の五大法なのである。

そしてその究極は、「死(まか)れる人も生き返りなむ」と伝えられて居る十種神寶を成就するための天眞修法であり、これは神伝武術の本源ともなるもので、みそぎ十神事完成の為の必須の行法でもある。



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