修 禊 奇 談  抜 粋


はじめに

 みそぎの道にはいってから早五十年以上経ったが、その間にいろいろ不思議な出来事を体験した。
 これを記すことは、少なからず後進の資となるものと思い、ここに述べるものである。
 世の中にはいろいろ不思議なことがある。
 しかし、それらは全て神の法則の中での出来事である。一つとしてこれに依らないものはない。
 これから述べる奇談は全て事実である。これを頭から否定すること無く、先づ自らの腹中に入れて修禊又修禊し、百観、千観、万観、無量観して、神意の如何なるものかを見付け出していただきたい。

  平成十年四月五日
                  九六翁   近藤 仁盛 述               石田 盛山 筆録


〈 第一話 〉 観音信者臨終始末


 私の所に出入りしている神信心に熱心な豊橋に住む百姓が語る父親の臨終の際の話である。
 父親が老衰で危篤状態になり親族一同が集まって、何時息を引き取ることかと見守る中、突然寝ていた父親が上半身起き上がった。
 寝床の周りに居たものはびっくりして、息子が思わず「どうしただ」と父親に問うた。
 すると父親は、この数日間と云うもの言葉ひとつ発しなかったのに「お迎えが来ただ」と返事をした。
 息子は驚きつつも、父親は永年熱心に観音信仰をして居たので観音さまのお導きかと思い、「お迎えが来たって。観音さまが来ただか」と聞いた。
 父親は首を横に振り「んにゃ観音さまでねえ」と答えた。
 息子は不思議に思い、それでは家の宗旨は浄土真宗だから、阿弥陀さんのお導きかと思い、更に「じゃ、阿弥陀さんがお迎えに来ただか」と問うてみた。   父親はまたも首を横に振り、「んにゃ、違う」と云う。
 息子は、父親が永年信仰してきた観音様でもない、ご先祖を西方極楽浄土へ導いてくれると云う阿弥陀様でもない、それでは何が父親を迎えに来ているのか途方にくれつつも「じゃ、誰が迎えに来ただか」と問うた。
 父親は唯一言「さんごう」と云って後に倒れ、そのまま息を引き取った。
 この「さんごう」とは、父親の生まれ故郷である愛知県尾張旭市三郷のことである。
 では何故、臨終の際に生前信仰していた観音や家の宗旨である阿弥陀如来が現われず、出生地である土地の名を発したのだろうか。
 ここが大切なところである。
 人は受胎の瞬間から産土(うぶすな)の気を享けて成長し、誕生の後も死ぬまで、いや、死後も産土のお世話になっている。
 産土とは 大地の神のことを云い、万物成壊の母である。
 あらゆるものはこの産土により産出されると共にこの産土に収蔵される。
 この話の父親も、臨終に際して、観音とか、阿弥陀とかの生前の信仰とは無関係に、自分の生まれた地の産土神にその魂を引き取られたのである。
 これは、この父親に限っての話ではない。
 人類、いや、あらゆる生命が神理に則って生滅を繰返しているのである。
 観音・阿弥陀とか云うもの、ひいては宗教というものは人間身が造り出した産物であり、所詮、神理の掌の上に転がる独楽の様なものである。
 こんなものに頼っていても、あの世では何の役にも立たない。


〈 第二話 〉 或妻女の化物行事


 昭和二十四、五年頃、岡崎市六句町に住んでいた時のことである。
 大石凝真素美翁の神道を研究していると云う或る神道家が尋ねて来た。
 この人とは、以前、心霊実験を行っていた宇佐見景堂氏を通じて知り合ったのだが、最近、岡崎市内の市電の中で妻女同伴で乗車しているところに偶然出会い、ついでの折にでも尋ねて来るよう住所を教えて置いたのである。
 久しぶりに会って、色々と昔話や神道の話をしているうち、神前に持たせかけて会ったヌサが風で倒れて床に落ちた。
 元に戻そうと、ヌサを執り、紙の縺れを直すため振っていると、突然、その神道家の妻女がウナリ声を出して苦しそうに身体を悶えさせ始めたのである。
 ヌサを手に執ったまま、その様子を窺っていると、三、四分位経ってフーッと深い息をして意識を取り戻し、妻女は元の状態に返った。
 それから、神前にあった樫の木の神寄板を妻女に持たせたところ、神懸かって踊り出した。
 神寄板を手に執り、パチパチやって、歌を謡い踊り出したのである。
 歌は余り格調高いものではなかったが、踊りは一応見事なものであったのを憶えている。
 この場に居合わせたのは、私と家内、神信心をしている韓国人・張さんの奥さんと、その神道家の四人であったが、余りの突然の出来事で一同唖然として見ていたが、これが数十分も続いたので、皆どうしたものかと心配そうに見守るばかりであった。
 いつまで経っても止めないので、ふと思いつき、立ち上がって妻女の手にしている神寄板を取り上げたところ、妻女はパタンと倒れ気を失ってしまった。
 しばらくして、気をとりもどしたが、神寄板を大変気に入ったとのことで、しきりに所望するので一つを授けたのである。
 以来、妻女はこれまで目をつむってしか神懸かりになれなかったのが、目を開けてでも神懸かりが行えるようになったと、後日報告された。
 この神寄板は多田雄三先師の命名になるもので、禊神事全てに使用する神挂を輔ける神器であり、特に言霊禊の御歌しらべの折、神主(依代)と道彦(審神者)がそれぞれ持って御歌を発してゆく様は、森厳且つ優雅極まりないものである。
 神依板を拝神の際、常に持つことは、神挂を容易にし、魂祖の救いを享けやすくするものであり、神社参拝の折などにも是非携帯するとよいと思われる。
 十年以上も前、神宮の荒祭宮で、この神依板を持って歌を歌って居る人が居たので、問うてみたら、例の神道家から授かったとのことであった。
 神挂には必ず、神主(依代)と道彦(審神者)と神事(神と神人とを結ぶ行事)が必須であり、これを欠くものは正真の神挂とは云えない。
 この妻女の場合の様に、何の神事も行わず、突然、ヌサを振ったら苦しみ、神依板を持たせたら踊りだすと云った行為は、概ね、そう在りたいと願う願望から起るものであり、ちょっとした鍵を与えてやれば潜在意識が勝手に願望を叶えることとなるのである。
 又、動物霊もそう云う人を狙って悪さをして来るのである。
 この場合は、神依板を持たせたことが鍵となったのであるが、こんな神懸かりを真に受けて信用するととんでもないことになる。
 必ず何か代償を盗られ、身辺に異変が起きてくる。
 又、神懸かりの当人も次第に生命力が衰えて、運気も悪くなり、心身も損なうことになる。
 事実、この妻女は陰気で暗く、いかにも病身と云った風であった。
 こう云うのを化物行事と呼んで、みそぎでは最も嫌うのである。
 正真の神挂は玉依姫の神伝と豊玉姫の神伝に依るものであり、個人の気紛れや勝手な都合で、一々神々が挂る道理は無い。
 必ず手順があり、方式があるのである。
 私が何時も基準を知れと云っているのはこのことである。


〈 第三話 〉 山住神社フーチ実験


 昭和三十二年八月、静岡県磐田郡水窪町山住に鎮座する山住神社で行った、フーチ実験の話である。
 この神社は大山積命を祭神として和銅二年に創始されたと云われる古社で、古来から霊験あらたかなことで広く知られている。
 私が戦前満州の牡丹江に居た時、紅卍会牡丹江道院の名誉会長を委嘱され、「慈運」と云う道名まで貰い、いろいろな行事に立ち合ったが、中でもフーチと云う神事は如何にも不思議であった。
 それは、神前で二人の巫女が木の棒の端を持ち、中央についている筆を砂面台の上に構え、会長が神事を進めてゆくに従い、やがて筆が自然に動きだし、砂の上に字を描き出すと云うものである。
 信者たちは皆、この描き出された神示を大層有り難く受け止め、告げられた通りに商人は商売を、農民は作付けを行い、又お布施なども神示の通りに喜んで行ない、多額の布施を命ぜられることはそれ以上の収入を得られることとして、皆嬉々として奉仕している姿を見て、フーチもさることながら、不思議な民族だなと感心した。
 私は幸い、名誉会長と云うことで、間近にこの行事を見ることが出来、詳細に見聞した。
 この話を昭和三十二年春、豊橋に住む或る女性にしたところ、大変興味を示し、是非一度行なってみたいとのことであった。
 私も懐かしく思い、一度やってみるかと云うことで、用具を作り、その女性姉妹を伴って、その年の八月、霊験あらたかと云われる山住神社で行うことにした。
 現在は山上のこの神社まで舗装道路が続いているが、当時は時々落石もある山の中の道を、途中、川原で砂を拾い、フーチの用具一式を担いで、四五時間も登らなければならなかった。
 山頂の神社到着は午後五時頃であった。
 神社裏の湧き水で禊をし、神前に用具を整え、能理斗を奏上し、本日この行事を行う旨を申し上げ、同行の姉妹を巫女にしてフーチを実施した。
 どうなるものかと見守っていると、暫くして木の筆が動きだし、砂面上に字を描き始めた。
 顕れた字はカタカナのようで追って行くと「ヒ・ツ・ヨ・ウ・ナ・シ・ト・ツ・ク・ニ・ノ・ギ・ヨ・ウ・ジ・ナ・リ」と読めた。
 「必要なし、外津国の行事なり」
 私は愕然とした。
 日本には日本民族の信仰がある。
 神代より伝承される神道がある。
 霊の元津国・日本は地上世界の霊的中心であり、その日本に住む者が外国の信仰に被れてどうなる。
 日本神道では、我々一人一人が神の子であり、御祖神の導きは、この五体を通して受けられると教えている。
 フーチのような器具を用いて行なう行事は「吾国では必要なし」と教えられた大山積命のみ教えに深く感じ入り、一同反省し、早速、用具を壊して焚きあげ、心を新たにしたのである。
 日本人は舶来信仰が強い。
 何でもかんでも、外国のものがよく見える。
 信仰でも同じである。
 日本は神代より神道の国である。「かんながらの道」の国である。
 その歴史は幾千万年なるやを知らずとある。
 然るに、仏教・基督教など、外来の信仰に熱を上げ、坊主に牧師にいいように利用されているのが、現今の多くの人々である。
 これは、無知だから仕方がないとも云えるが、親不孝も甚だしいと云わざるを得ない。
 自分が何処から生まれ出て来たのか、何処で生まれたのかをよく思い返すべきである。
 そうすれば答えは自ずから出る。
 現代の日本人に欠けているものは、民族精神である。
 大和精神(やまとこころ)である。
 後進の人に告ぐ、今一度、すばらしい日本の心に目覚めて欲しい。
 これが、山住神社で私を諭して下さった神の御心であると思う。



以下、十三章まであります。
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