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偏無為・依田貞鎮翁と太子流神道


                                                                       石 田 盛 山

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1、偏無為・依田貞鎮翁略歴

「本書の信奉者・祖述者として最も顕著なのは、偏無為解脱、即ち、依田貞鎮翁である。」と、國學院大學名誉教授・玉敷神社宮司であられた河野省三博士は『先代舊事本紀の研究』で述べて居られる。

依田貞鎮(いだ・さだかね)翁は、武州・府中の人で、天和元年(1681)三月十三日に生まれ、字(あざな)は伊織(いおり)と言い、偏(正しくは行にんべん)無為(へんむい)・解脱(げだつ)と号した。

姓は源で、五十嵐はその氏である。後に故有って氏を依田に改めた。父は井田摂津守是政の曾孫であるが、家の姓は母の五十嵐氏を継いだ。

父母が没して後、居を卜して、江戸に来り、谷中に住んだ。

その人となり温雅にして、楽を善(よろ)こび、静を好み、神・儒・佛の学、窺(うかが)わざる事無く、佛を奉ずるに侫(へつら)わず、神に事(つかふ)るに泥(なれ)ず、謹厳実直に過ごすこと四十年。

中年より、『先代舊事本紀』に私淑し、研鑽・精修、又、深く思いを重ね、篤くその学を志した。

その著す所の書は、『本紀戔』三十三巻、『諸神鎮座記』二十一巻、『祕伝録』十八巻、『空華集』十七巻、『潅伝深祕之書』など總計百三十余巻に及ぶ。

延享三年(1746)丙寅秋、東叡大王(上野東叡山寛永寺座主)より、「特に摂津の四天王寺に命じて、君が修める所の神事祭法を伝へしむ。」との命を受け、四天王寺に依田貞鎮翁が伝承する神事祭法を伝え、その褒美として忝くも衣冠を賜り、人々にその栄を讃えられた。

四天王寺


老年になっても壮年の気衰えず、天下神道の闌を観んと欲し、奮然として起って京師に遊び、西は出雲大社に詣で、南は熊野神窟を探し、慨然として、「神道の政(まつりごと)、その明夷(めいい・傷ついた太陽のこと)、千載(せんざい)已(すで)に下れり、治むるに眞至聖皇(聖徳太子)の業あるも、吾れ譲るを得ず」と嘆いた。

復た、京(都)に還り、寓居三年。遂に天聴に達し、是に『三種神器伝』並びに『従璽十寳伝』を姉小路公文卿を通じて進上したところ、帝はその書を撫でて、「翁(依田貞鎮)は誠に国の宝なり。惜しいかな、老いたり。」と嘆き曰されたと言う。

九条左大臣尚實公も、依田貞鎮翁より学を稟けることを誓約し、依田貞鎮翁が江戸に帰った後も、音信の絶ることの無かったと言う。

是より先、享保十三年戊申(1718)夏、徳廟の近臣・大島古心より、「未然本紀、良く解らず、暁(さと)り難し。審らかに註解を献ずることを乞う」と謂われたので、書き記すことに勤めて二年、以て『未然本紀註』を進呈した。

黒田直邦候は、素より大経(『先代舊事本紀大成経』)を尊信し、顕職に在ったが、好んで依田貞鎮翁を相伴し、その契は殊に篤く、その令孫・直享にも依田貞鎮翁より学を稟けよと遺嘱するに至ったと言う。

その他、長門候重就、佐倉候正亮、園部候英智の諸候も、命(みこと)として誓約をし学を稟けた。

延享元年甲子(1744)夏、善明寺主・證海と謀り、寺を依田貞鎮翁の旧宅に移し、改めて律苑と為し、その田園・家資を悉く持律僧伽に充てた。
府中市にある善明寺 (現在は天台宗となって居る)
     明和元年甲申(1764)の春、正月元旦に侍人に「吾れ事(こと)畢(おえ)り。今日より後、生くと雖も、猶、死すが如し。客有りても告げる勿れ。」と言い、晩春に病を発し、明和元年三月十七日、帰幽した。

亡くなる三日前、證海及び門人を顧みて後事を遺嘱した後は、終日叉手し、泊然として逝かれたとのことである。

門人の證海は「天、この老を遺さず、嗚呼、哀れなるかな。君、少より精進・錬行、娶らず、嗣がず、凡そ学を稟る者四百有余人。蓋し、君が行事は記すべきもの多し。今、一二を誌し、以て後昆に貽(おく)る。君、天和元年辛酉三月十三日を以て生まる。享年八十四。善明律寺先人墓の側に葬る。」と嘆いて居る。




依田貞鎮翁の墓碑
葬儀は大僧都・覚印が執行し、青木対馬守政勝が治葬・建碑した。

墓碑は、青木対馬守政勝が得る所の論を證海が銘と為し、没後六年に建立した。

銘には、「惟(これ)明和の奥、春三月なり。己丑(明和六年・1770)、吾れ依田君を善明之寺の後に葬る。」とある。
依田貞鎮翁の墓碑銘 以上は、『国学者伝記集成』中の事実文編26「依田貞鎮墓碑銘」(漢文)をほぼ訓読したものである。




以上、依田貞鎮翁の道友・善明寺證海に依る墓碑銘にて、その略歴は、凡そ窺うことが出来るが、不明なのはその師系である。

依田貞鎮翁の出生は天和元年であり、『先代舊事本紀大成経』が幕府の問題となった年に生れて居ることになる。

では、誰から『先代舊事本紀大成経』の手ほどきをうけたのであろうか。

先に、『先代舊事本紀大成経』を上梓した黄檗僧・潮音道海禅師であろうか。

然し、潮音道海禅師の発刊した『先代舊事本紀大成経』に就いて、『黄泉本紀』に五丁、『地祇本紀』に二箇所四丁、『神祇本紀』に二丁の落丁部分を依田貞鎮翁は指摘して居り、恐らく、潮音道海とは別系の『先代舊事本紀大成経』に依るものではないかと思われる。

又、『潅伝』伝書に就いても、依田貞鎮翁の遺されたものは、潮音道海禅師の遺した三部三巻のものとは異なり、三部三伝の九巻となって居り、潮音道海とは別の誰かに伝授をうけたものと推定されるのである。

そして、『太占本紀』に就いても、依田貞鎮翁は『序之戔神字書』に於いて「師伝に今、太占本紀占綱の下に附ける占辞は、これ後人の附會せるなり。何れの世、何れの人の所為といふことを知らずとなり。太占本紀闕本と見ゆ、惜しい哉」と記されて居り、更に、『神拝礼伝』に「聖徳太子三十六代相伝・偏無為翁・依田貞鎮」とあるのを見ても、間違いなく師系が存在して居ることが窺われる。

『先代舊事本紀大成経』の伝承者である長野采女翁は貞享四年(1687)に帰幽して居るから、天和元年(1681)生れの依田貞鎮翁とは年齢的に繋がらず、或いは、長野采女から伝を受けた誰かからの筋が考えられるが、今の段階ではその師系に就いては不明である。




2、偏無為・依田貞鎮翁の著書

依田貞鎮翁の著書に就いては、依田貞鎮翁自身が纏められた『興雲閣戔注著目録』を見れば一目瞭然である。

以下、『興雲閣戔注著目録』(漢文)より、ほぼ訓読し紹介する。


◎ 大経戔註目録序  (記号は便宜上、筆者がつけた)

先代舊事本紀は神代皇代大成之経なり。

天地の造化、世境の成壊、神天の経緯、皇政の紘維の源奥を区分し、渕深を開廓し、神鎮・社稷・祭祀の法則、極めて深くし、機を研(あきら)かにし、閉じられた闔(ふた)も明らかとなる。

寔(まこと)にこれ、日域の大寳、天下の一命なり。

然るに、所由有って、神祠に蔵すること久し。

近代世に出づと雖も、未だこれを覿(み)ざる人多し。

この故に註解も靡(な)く、又、疏伝も靡(な)きなり。

その文義、僉(みな)、簡古・幽遠にして容易に通暁し難きものあり。

余、狭見寡陋にして博遠に同じに匪(あら)ずと雖も、聊か、戔註を述べ、更に、諸神鎮座の縁由、並びに、大経の小補、覃(およ)び、神祭の楷式口決等を編選し、纂(あつ)めて一百餘巻に至るなり。

蓋し、草昧にしてその始め、相い憑(よ)り據(よ)ること無きが如く、多く甄明の辯を闕(か)くなり。

その天寸の富博すら、尚、改具を俟(ま)つ。

矧(いわん)や、至魯・?識にして、事詳密に乖(そむ)くをや。

頗る傍訂を徼(もと)め、庶(ねがはく)は己(やむ)に賢(まさ)らん。

若し、同志、採ること有らば大幸なり。云(もう)すこと爾(しか)り。欽(つつし)んで序す。

維(こ)れ時

宝暦第七星(1757)、丁丑に纏(まと)う春二月五日、皇都僑居に於いて書す。

偏無為 敬稿


 目録略註 


▲ 先代舊事本紀中戔  33冊

先代舊事本紀は、都合七十二巻なり。その内、聊か戔註を成すなり。戔は註なり、表すなり、識(しる)すなり、書くなり。神聖の書、恐れて敢えて注と言わず。但、解き難きものを表わし識(しる)すのみなり。故に、戔と言うなり。


1、大成経序戔  2冊

先代舊事本紀の序なり。推古天皇の御製にして、本紀七十二巻の大意、及び、この書の起り、盡(ことごと)く精密(くわしき)なり。

序伝に曰く、「抑(そもそ)も、この序は何すれぞ、舊事本紀の名を以てせずして、神代皇代大成経の名を以てしたまうや。これ還(ま)た天皇のその私に為したまうに非ず。即ち、大神の託言なり。又、これその本(もと)の號(な)を改めたまうに非ず。これ、この経を崇めたまうなり。」

又曰く、「吾が道の輩、常にこの序を読み、その趣を精(くわし)く覚(さと)りて、学に入る時は、則ち、誠に差(たが)う所無からん。若し、その思いを忽(ゆるが)せにし、この序を閣(さしお)く時は、則ち必ず、その密(くわし)きことに入ること有るべからず。」

この故に、序の戔を為すなり。

次下に片仮名(かたかな)注も亦、三巻あり。

序伝は、秦の河勝の作なり。


2、神教経戔  6冊

この経は、推古天皇二年春二月

聖徳皇太子、奏聞して、親(みづか)ら神教経、及び、宗徳経を編じて、並びに、解疏を製し、國社に置き、始めて神道を以て國縣に弘めたまう。

神道の学、この時に始めて立ち、神道の学有るその法の元なる経にして、神道の大宗を露(あらわ)したまう経疏、神道最初の学道の軌(のり)なり。

本経は一巻なり、戔して六巻と為るなり。


3、宗徳経戔  7冊

この経は、聖皇(聖徳太子)第二の作述なり。神教経の餘意にして、吾が神道の根本なり。

これ又、本経一巻なり、戔にして七巻と為るなり。


3、神代本紀戔   11冊

この本紀は、舊事本紀第一巻にして、天神七代の事実、天地造化、開天九百万歳、竭(ことごと)く、この巻に在り。

本経は一巻、戔にして十一冊あるなり。


4、先天本紀戔   五冊

この本紀は、先天の事実、及び、今天の盛天、日月・星宿・五運・六気運旋の消息化かありさま)、乃至、喪天の大概等なり。

本経は、本紀第二の巻にして、一巻なり。今の戔、五巻なりと雖も、本紀十二枚許(ばかり)を注するなり。

時を得て、先天一巻の戔の業終らんことを希(こいねが)うものなり。

(註) この戔は、冒頭の天祖・天尊までのみの解説であり、未完なのは誠に残念であるが、他の戔と共に読みこんで行けば、未完部分も充分理解できると思う。


5、
祓解祝言戔


これ大祓・外輪祓解・内輪祓解の注なり。

外輪祓解とは、世に中臣祓解と言うなり。

この大祓・外輪祓解・内輪祓解の三首、これを三種の大祓と言うなり。

この外に、奉供祝言(みそなへのりと)、神喜祝言(かんよろこび)のりと、十神事祝言これあり。未だ、注釋を為さざるなり。




▲ 諸神鎮座記  20冊


1、五十宮(いそのみや)  1冊



伊雑宮
これは、天照皇太神鎮座の天祠なり。

昔は、伊勢の国なり。今は、この地、志摩国と為るなり。故に、志摩国答志郡に在り。

この地は、天照大御神・月誦大神・服狭雄大神、その外、諸神産誕(うまれたまう)の処なり。

この故に、瀧祭窟(たきまつりのいはくつ・天照太神等産湯の瀧なり)・鼎石(かなへいし)大神・三湧井等の名所、皆この地に在りて、今尚、現存す。

詳らかにこの鎮座記に記すなり。

垂仁天皇二十五年鎮坐なり。



2、宇治宮(うぢのみや)・山田宮(やまだのみや)   1冊




内宮
この宇治宮、今は内宮なり。これ天孫大神、日向国・吾田(あだ)大社より遷坐したまふ天祠なり。

鏡岩(かがみいわ)の霊石もまた、この宮の前、五十鈴河の河上に在り。

遷坐の縁由等、具にこの記に録(しる)すなり。

垂仁天皇三十四年の鎮坐なり。五十宮より十年後なり。


外宮

山田宮、今は外宮なり。これは月の豊受大神なり。

丹波国(今、丹後となる)より遷坐なり。

度遇(わたらい)山田の原に鎮坐したまふ。故に、山田宮と云ふ。又、豊受宮と云ふなり。

遷坐の始終、悉くこの記に識す。

雄略天皇の時、鎮坐したまふ。宇治宮に後(おくる)ること四百餘年なり。




3、飯井宮(いゐのみや)・杵築宮(きつきのみや)  1冊



この二社は今は存在しないが
『伊勢二社三宮図絵』には
五十宮の左右に描かれて居る
飯井宮は、また、田鹿宮(たかのみや)と云ふなり。

これ猿田彦大神、神代より鎮坐の宮なり。

これ亦、志摩国礒部の縣なり。五十宮より八町ばかり南に在り。日本の惣鎮守なり。つぶさにこの記に記す。

中の大殿は、皇祖・神武天皇なり。左の大殿は、猿田彦大神、右の大殿は天鈿女(あめのうづめ)大神なり。これ神楽の祖神なり。この故に、この宮の神楽人、今尚、殊勝の真法・霊法有るなり。


杵築宮も亦、五十宮に近き所二町ばかり東に在り。又、国貴社(くにむちのやしろ)と言ふ。日本最初の神社なり。

中は大已貴大神、左は久延彦大神、右は少彦名大神なり。委しくこの記に在るなり。この宮、今甚だ衰微に及べり。



4、三輪大社  1冊



三輪大社
この大社は、大和国城上郡に在り。

大已貴大神の鎮坐なり。

魂神(みたまのかみ)・身神(みのかみ)の異なり有り。魂神は神代より鎮坐なり。

この神社は、日本總總社なり。(国国總社は別總社と云ふ。)

この大神は、日本地主にして、尊貴大功の大神なり。委しくはこの記に在り。


5、八幡宮  1冊



宇佐八幡宮
八幡大神は、初め豊前の兔狭(うさ)に現れ鎮坐したまふなり。故に、兔狭宮と云ふ。。

その後、国々に遷坐したまひ、霊験甚だ著明(いちじるし)。託宣・現形のその妙誨、餘社に勝れたまへり。



6、日吉山王  1冊



日吉大社
近江の国滋賀の郡、坂本邑に在り。

日枝神社は神代より鎮座なり。

山王は伝教大師の勧請なり。

爾来、王城の鬼門を守り、鎮護国家の道場と為すなり。

その本源、比枝山の起り等、具(つぶさ)にこの記に録すなり。


7、稲荷神祠  1冊



伏見稲荷大社
山城国紀伊の郡、飯盛山に在り。

稲荷大神は天照太神の分魂神(わけみたま)にして、専ら五穀を主り、豊饒を主る神なり。

この故に、国々県々に勧請・崇祭すなり。


8、熊野大殿    一冊



熊野本宮大社
熊野は三所なり。

本宮・新宮・西宮(今は那智と言ふ)なり。

一所十二前、天神七代、倶生・偶生の神、独化七神、服狭雄三代、月誦尊、少彦名神なり。

尊貴霊現の大殿なり。

紀州牟婁の郡に在り。


熊野速玉大社


熊野那智大社


9、諏訪神社   一冊



諏訪大社 本宮
この大神は大武勇の神にして、副将軍の大神なり。

建御名方(たけみなかた)の大神と謂ふなり。

10、愛宕神社   一冊



愛宕神社
山城国葛野郡に在り。

これ天人熊(あめのひとくま)の大神なり。

この大神は天狗神を領するなり。

11、高鴨神社   一冊



上鴨神社
山城国愛宕郡に在り。

上宮は味?高彦根(あぢすきたかひこね)の大神なり。

これ上鴨宮なり。


下賀茂神社
中宮は大國主(おほくにぬし)の大神なり。

中鴨宮なり。


下宮は宗像姫(むなかたひめ)の大神なり。


貴船神社

黄舟神社(今、貴船に作る)


松尾大社
松尾神祠


平野大社
平野神祠


国造神社は所在不明
國造神社  


みなこの一巻に記すなり。

昔、推古天皇の時、今の京洛の地は秦河勝(はたのかわかつ)の領地なり。

六角堂及び太秦、今の広隆寺は河勝の建立する所なり。

この故に、河勝の伝もこの中に附す。


12、五椿五嶽   一冊

五椿



金華山
五椿は金花山(奥州)、江の島(相州)、富士山(駿州)、竹生島(江州)、厳島(芸州)なり。


江の島


            富士山


竹生島


           厳島
五嶽



富士山
五嶽は、富士山は中岳、日光山は東岳、金峯山は南岳、高千穂峯は西岳、白山は北岳なり。

具にこの一巻にあり。


日光三山 男体山


日光三山 女峰山


日光三山 太郎山


金峯山


高千穂峰


白山

13、出雲大社  一冊

服狭雄(すさのを)大神の鎮座なり。

簸御崎(ひのみさき)稲田姫(いなだひめ)の大神なり。

迦葉佛の経島、簸御崎の海中にあり。

今尚、現に在り。

神史の現実、奇中の奇、祕中の祕なり。


14、熱田大宮  一冊



熱田神宮
この神宮は二殿なり。

外宮は八剱殿、十握剱の神、天照太神の魂剱なり。

内宮は白鳥殿、日本武尊の魂霊なり。


別宮 八剣宮

15、住吉大社  一冊


住吉大社
この社は、底筒雄(そこづつお)・中筒雄(なかづつお)・表筒雄(うはづつお)の三神なり。

外に五神鎮座、合せて八宮なり。

摂津國住吉の郡、堺邑に在り。

活田神社、長田神社、廣田神社、西宮火倚子(ひるこ)大神、皆この一巻に附すなり。


生田神社


            長田神社


廣田神社


            西宮神社

16、鹿島神社・香取神社  一冊



鹿島神宮
鹿島の大神、常陸國に在り。

香取の大神、下総に在り。

同気同徳の大将軍神なり。

二社この一巻にあり。


香取神宮


17、二荒神社   一冊  今は日光山と云ふ



二荒山神社
これは本宮・新宮・瀧尾三所権現なり。

今は又、東照神君の霊殿なり。

この山は、五岳のその一にして東岳なり。

具にこの記に録すなり。

18、北野神社  一冊

これは天満大自在天神、即、菅原相公の霊なり。

すでに未然紀にあり。まことに所以あらん。

この故に、未然文を挙げてこれを記し、これを注するなり。


19
分野神社

二十八宿の魂(みたま)神、地に降下(あまくだり)、神國の華洛四方國に鎮座したまひて、天祚(あまつひつぎ)を護衛したまふなり。

異国も亦、分野の説有ると雖、神域に非(あら)ざるを以て神鎮の義無し。唯、方國に拜するのみなり。

これ神國は人國と同じからざる所以なり。

〈 註 〉 この巻に記載される二十八宿の神名・方國・分野の神社・社号は下記の通り。当時、既に所在不明の神社があり、「鎮座の郡県、未だ詳かならざるはこれをさしおく。知る人、これを質す時は、則ち大幸なり。」と記されて居る。又、現在では、神社名が変って存在して居る社もある。

二十八宿 二十八宿の和名 現在の天体名 二十八宿の神名 方國 分野の神社・社号


スボシ おとめ座のα星 天食持(あまのみけもち)大神 科野(しなの)國 河裳(かはゑ)神社
アミボシ おとめ座のk星 級長戸彦(しながとひこ)大神 衣香(そか)國 足高(あしたか)神社
てい トモボシ てんびん座のα星 天剛風(あまのつよかぜ)大神 干田(ひた)國 水無(みづなし)神社
ソイボシ さそり座のΠ星 活延彦(いくのべひこ)大神 遠湖(とをとみ)國 特委(こともち)神社
ナカゴボシ さそり座のσ星 少彦名(すくなひこな)大神 邦門(くと)國 来戸(くと)神社
アシタレボシ さそり座のμ星 武御名方(たけみなかた)大神 参河(みかは)國 利香(とか)神社
ミボシ いて座のγ星 銅御魂(あかがねみたま)大神 尾張(おはり)国 賄田(まなた)神社


ヒツキボシ いて座のφ星 地君別(くにのきみわけ)大神 伍背(いせ)國 霊椿(あやしつばき)神社
イナミボシ やぎ座のβ星 天尾羽張(あまのをはばり)大神 島間(しま)國 賄田(まなた)神社
ウルキボシ みずがめ座のε星 去来冊尊(いさなみのみこと)大神 伍顔(いが)國 分野(わけの)神社
トミテボシ みずがめ座のβ星 天延朗日(あまのほひ)大神 熊野(くまの)國 日陰(ひかげ)神社
ウミヤメボシ みずがめ座のα星 火貫速日(ひのつらはやひ)大神 城居(きい)國 日前(ひのまへ)宮同殿
ハツイボシ ベガスス座のα星 稚皇産霊(わかみむすひ)大神 淡道(あはち)國 合住(あひすみ)神社
ナマメボシ ベガスス座のγ星 大埴安(おほはにやす)大神 粟葉(あは)國 大彦(おほひこ)神社
西

トカキボシ アンドロメダ座のζ星 天太玉(あまのふとたま)大神 明石(あかし)國 太玉(ふとたま)神社
タタラボシ おひつじ座のβ星 手力雄(たちからお)大神 針間(はりま)國 戸啓(とひらき)神社
エキヘボシ おひつじ座の35番星 金御魂(こがねみたま)大神 黄蕨(きび)國 金宮(かなみや)神社
スバルボシ おうし座の17番星 銀御魂(しろがもみたま)大神 大伯(ををく)國 富幸(とみさき)神社
アメフリボシ おうし座のε星 大山祇(おおやますみ)大神 見坂(みまさか)國 分野(わけの)神社
トロキボシ オリオン座のλ星 天生魂(あめのいくたま)大神 二間(ふたま)國 存宮(ありみや)神社
カラスキボシ オリオン座のζ星 金山彦(かなやまひこ)大神 谿心(たんご)國 分野(わけの)神社


チチリボシ ふたご座のμ星 天水分(あめのみづわけ)大神 稲葉(いなば)國 水根(みづね)神社
タマオノボシ かに座のθ星 磐裂嶺裂(いわさくねさく)大神 雁来(かく)國 凌威(いつ)神社
ヌリコボシ うみへび座のδ星 天君分(あまのきみわけ)大神 谿羽(たんば)國 分野(わけの)神社
ホトオリボシ うみへび座のα星 事代主(ことしろぬし)大神 若狭(わかさ)國 鬼生(をにふ)神社
チリコボシ うみへび座のυ星 鐡御魂(くろがねまたま)大神 高石(たかし)國 世資(よすけ)大神
タスキボシ コップ座のα星 人君別(ひときみわけ)大神 雁帰(かか)國 柄戸(からと)神社
ミツカケボシ からす座のγ星 天物梁(あまのこやね)大神 箕野(みの)國 事持(こやね)神社


20
伊豆・箱根権現  御嶋神社  一冊



伊豆山神社
伊豆権現は、花咲姫(はなさくひめ)大神なり。


箱根神社
箱根権現は、天孫大神妃・此花咲哉姫(このはなさくやひめ)大神なり。


三嶋大社
御嶋神社は、大山跡祇(おおやまとすみ)大神なり。

この父子三神、この国の天孫外祖の始めなり。

合せて二十冊  余社は未だ記せず。



▲ 大経小補  31冊

吾が國の神史の大経は、その元肇玄風、人あまねく見て、ことごとく識ること能はず。

ここに他の問ひに応じ、又、自らの懐ひに任せて、天地の造化、神社の至要、神道の大意、乃至、年事の祭儀、婚産葬儀略禮、憲法の注等、一二の事実を採りひろい、時に当たってこれを録し、事に臨んでこれを書して編を成し、以て遺忘に備ふ。

年を経ること若干歳、凡そ三十餘巻に至る。巻巻別種にして、筆意同じからず、雑種にして束(つかね)名つけ難し。

然ると雖、全体の志す所、大経の淵源は沈懿深大にして雅麗の聖情、一句半言を解辯して、若しくは小補と成らんかと欲するの外、他旨なし。

故に、総名(すべな)つけて『大経小補』と謂う。

然れども、余、浅闇寡聞なり。敢えてこれを達識に曰すには非ず。しばらく児曹の為なり。

今それ一撮の土を取りて泰山に紛す。この一微塵もまた山の壌(つち)なり。若し人、一點の撲(ぼく)を以て、闔巒の地味を知るは、則ち、巌(いわ)を鑿(さ)くは址(もと)を闢(ひら)いてこれを識(しる)すものに異なるなし。

豈(あに)、復(また)、大経の尠(すこ)しき裨(たす)けと成らざらんや。瞥(み)る仁(かた)のこれを恕(ゆる)したまへ。


1、天地略説図解     1冊

開天九百万歳の事実、天体、地形、日月の蝕、日月の横転など、ほぼその要を説演するなり。


2、神社知要    1冊

この書は、鳥居・鰐口・掛鈴・児馬獣(こまいぬ)・幣帛・本地佛・権現神、並びに祭具・神楽の起り、これを記すなり。


3、神道大宗    1冊

これは四天の常恒、宗源・斉元・霊宗の三部の大較、神・心・理・氣・境の五鎮の略説、数理の要記、吾が國の斎禁など、みな異国未談の神國の要教なり。

並びに、神・儒・佛三法の通評、三法の学科、これを記す。


4、鼎石再現記  並びに禎祥   1冊

志摩の國礒部の郡、鼎石大神と云ふ。

これ天照太神御誕生の時、陰陽二柱神、赤飯(こはいゐ)を蒸して祝賀(いはひ)たまふ器なり。

然るに、千有餘年、砂に埋もれ知る人無し。

享保二十年(1735)乙卯の歳、再び現はれたまふなり。

この鼎石大神は、今、内裏(おほうち)に在(いま)す鏡・剱・瓊の元なり。

故に、璽根(しるしね)の大神と云ふなり。

その再現の顛末この記に録すなり。


5、三天瑞の記   1冊

これは聖徳皇太子御誕生の時、天真鈴(あまのますず)、賢聖の瓢(ひさご)、佛舎利の三天瑞、これ有るなり。

その委曲を稽(かんが)へ、これを記す。

神・儒・佛三法、弘通の霊瑞なり。


6、三疑答問    1冊

或るひと問ひて曰く。

聖徳皇太子は日域の大聖人なり。然るに三つの疑ひ有り。

一には、君を弑する馬子の大臣を討ちたまはず。これ不忠なり。

二に、太子、墓を造る者に命じて子孫の後を断つ応らしめんと欲す。聖人の教へは、後嗣無き者は不孝となるなり。

三には、(物部)守屋大連、佛法を停めんと奏し、馬子の大臣は佛法を行なはんと奏す、守屋と馬子と郤(なかたが)ひ有り、馬子と諸王子及び群臣、謀って守屋を殺し、太子も亦、その軍に在り。太子、素(もとより)善く馬子に遭へり、この故に党して守屋を殺す。これ深く佛氏に淫するなり。

これこの三疑、人皆これを難す。子、常に篤く太子を信ず。亦、説有るや。

余が曰く。

これ有り。即ち、その問ひに応へる書なり。


7、大成経来由    1冊

これは或る人の求めに由って大成経の來由を略して記すなり。


8、未然本紀註    1冊

これ又、千歳本紀とも云ふなり。聖徳皇太子未然のことを紀したまふ。故に未然本紀と云ふなり。

推古天皇三十年壬午(歳)より後水尾帝元和七年に至るまで、一千歳の事実を紀したまふ故に、千歳本紀とも云ふ。

一老翁あり、謂ひて曰く。未然本紀はその文、甚だ幽冥なり。既にその千歳過ぐといへども、今尚、容易(たやすく)解(け)し難し。みな奇(あやしき)句(ことば)俶(たかく)儻(とをし)なり。請ふ、これを注釋せよ、これ故、諸史を考へ合せ註する書なり。


9、二社三宮鎮座略記    1冊

二社とは飯井宮・杵築宮なり。三宮とは五十宮・宇治宮・山田宮なり。

委しく鎮座記に在りといへども、是は略して要を取り、カナ書に記すなり。


10、神國要談     1冊

此の書は諸神の託宣を記し、又、必ず日本にては神祭りを常に怠るべからざる事を記すなり。


11、年事略儀     1冊

是れ年中の節辰・祭供、上下ともに通じ祭ることを記す。

禁内(ををうち)の年事は憚り恐れてこれを略せり。故に年事略儀と云ふ。


12、婚産略禮     1冊

是れ、婚禮と産誕の禮式を記すなり。

是れ亦、上の禮は憚り恐れてこれを略して記さず。故に略禮と云ふ。


13、葬儀略禮      1冊

是れは葬禮の儀式なり。

是れも亦、略して上の儀式は記さず。故に略禮と云ふ。


14、蒙服忌釋       1冊

是れは蒙服蒙忌の日限、根と條と標との忌(いみ)等、神定の日数を記す。


15、詠学辨要        2冊

詠歌の道は日國の風格にして、六義・六部・八體・八製あり。

傍歌(そへうた)・譬歌(たとへうた)・正歌(ただしうた)・興歌(めでうた)・祝歌(いはひうた)・呪歌(まじうた)、是れ此の六風、其の儀、自づから別る。是れ六義なり。

大文・小文・大武・小武・属文・変文、又、此の六詠、その旨亦別る。是れ六部なり。

長歌・短歌・闕歌(かけうた)・餘歌(あまりうた)・解歌(ときうた)・廻歌(めぐりうた)・戯歌(たはれうた)、風體分れて八つ、是れ八體なり。

質製・文製・意製・言製・理製・作製・婉製・平製、造科(つくりしな)又八つ、是れ八製なり。

六義・六部・八體・八製、各々一首の和歌を記し、詠学を辨ずるなり。


16、通蒙憲法注       2冊

聖徳皇太子の五憲法あり。通蒙憲法・政家憲法・神職憲法・儒士憲法・釋氏憲法なり。

推古天皇御宇(をんとき)、越(こし)の國より白鹿を上(たてまつ)る。十七股(また)の角あり、十有七の文字あり。此の文字により十七條の憲法を製し給ひなり。

十七條に五首あり。故に五憲法と云ふなり。通蒙憲法は其の始めなり。


17、政家憲法注       2冊

是れは政道に預る人の為の憲法なり。


18、神職憲法注      2冊

是れ神職の人の為の憲法なり。


19、儒士憲法注       2冊

是れ日本の儒士は異國の儒者と同じからざる事あることを教へ玉ふ憲法なり。

釋氏憲法は、カナ注焼失す。後、真字注にて六巻あり。住持僧・寳洪範なり。


20、序箋仮名書        3冊

大成経序は真自との箋ありといへども、又略して仮名書三巻記すなり。大概(ををむね)は真字箋に同じきなり。


21審問稽辨          2冊

是れは大成舊事本紀の義、種々の不審を問ふ人有り。武陽・霊雲寺の現住・法明比丘なり。

審問を以てこれを稽(かんが)へ、辨(わきまへ)答へる書なり。是れ真字書なり。


22、天狗神解辨       1冊

天狗神の説、異國の書は詳かならず。是の故、其の來由、これを知らざる人多し。故に聊か其の大較を記す書なり。



▲ 祕伝録  18冊


1、元浄祕伝録      3冊

此の内一巻は神拜伝之口決なり。

第二は三重(みえ)之伝の口決なり。神事修法の時、堅躬(みかため)の呪象、座清浄(ざきよめ)等、初重・二重・三重の伝授口決なり。故に三重伝と云ふ。

第三は略神事の法なり。然ると雖、一切の神事・祭供、僉(みな)此の法に有り、献供の式なり。

已上、是れを神則三箇の伝と謂ふなり。此の外、五箇の伝授等、未だ口決の書に及ばず。

この『元浄祕伝録』には、更に祕口(秘密口伝書)なるものも存在して居る。


2、十神事精審録     13冊

十神事とは、これ天の五祭、地の五祭なり。

産誕祭(みあれのまつり)、出窟祭(いわくらでのまつり)、避魔祭(ざこのまつり、又、八針(やつはり)神事と云ふ)、降雨祭(あまこひのまつり)、造化祭(よつくりのまつり)、これを天の五祭と云ふなり。

開圃祭(そのひらきのまつり)、火焼祭(ほたきのまつり)、伏夷祭(ひなうちのまつり)、降臨祭(あまくだりのまつり)、杵築祭(きつきのまつり)、これを地の五祭と謂ふなり。

然るに、この祭法・経文、簡古にして初学は行修し難し。この故に敬考(うやまいかんがえ)、欽稽(つつしみかんがへ)て、各々その祭式及び祭文・祭定・壇図等を為し、これを十神事精審録と名づく。以て勤修に便するものなり。第一より第十に至るの十巻なり。

第十一は舞曲の祕伝なり。降神の舞法・六極の拜法・相生の舞法・相剋のり舞法・鎮鬼及び戟と幣と太刀等の舞法・男巫の舞法・女巫の舞法等なり。

第十二は神楽の五調子の祕伝なり。五調子とは宮・商・角・徴・羽なり。神琴は宮(今、和琴と云ふ)、強音鼓(しきねつづみ)は商(又、弟鼓と云ふ)、奇音鼓(あやねつづみ)は角(又、兄鼓と云ふ)、神笛(かぐらふえ)は徴(今、神楽笛と云ふなり)、大鳴鼓は羽音(今、太大鼓と云ふ)なり。五器の起り・神琴の譜、神笛の譜、三鼓の調子など、これを記す。

第十三は神饌篇なり。五五神供・七五三の饗膳、五三一の助食など、その廣略・上中下の神供などなり。この書又、祭壇五棚の寸法・幣帛の大数を附すなり。

【註】後に、第十四として舞曲新伝も著されて居る。


3、三種神器伝       1冊


4、十種神寶伝       1冊

合十八冊、未伝授者には開見を許さず、謹んでその人の機質を見るべきなり。



 束 録

1、舊事本紀中戔   33冊

2、諸神鎮座記    20冊

3、大経小補     31冊

4、祕伝録       18冊

右、                 偏無為撰述



宝暦第八戊寅年(1758)中夏十五日、皇都の僑寓において


続く



【 注 本稿の一切の無断掲載・転載・引用を禁止します 】



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